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座して待たず! “ビジネスオープニング”に立ち向かおうEETweets 岡村淳一のハイテクベンチャー七転八起(4)

今回は、エンジニアが新技術を顧客にどう売り込むか? そしてビジネスにどう結び付けていくか? 「ビジネスオープニング」に対する心構えについて、過去を振り返りながら私自身の反省も踏まえてまとめます。

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@trigence」のつぶやきを出発点に、企業経営のあれこれや、エレクトロニクス業界に思うこと、若い技術者へのメッセージを連載中!!→「EETweets」一覧

 皆さん!あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 いや〜早いもので、前職を辞めてハイテクベンチャーを立ち上げて5回目の正月を迎えることができました。ここまでやってこれたのは、お客さまや当社を支えていただける皆さんの協力のおかげです。独立したときに先輩から「5年続いたら本物だ」と言われました。5年頑張ると、人脈や技術、ビジネスの種などがだんだんと絡みあって自然に会社を支える土台になってきます。この5年の期間は種まきというか収穫が期待できない期間であって、その期間にどれだけ頑張れるか? で本物かどうかを問われるのだななぁ〜と思い返します。実践(On the Job Training)は本当に勉強になりますね。

 これまで、ビジネスアポイントの獲得やプレゼンテーションに関するつぶやきを題材に、連続でコラムを書いてきました。今回は、エンジニアが新技術を顧客にどう売り込むか? そしてビジネスにどう結び付けていくか? つまり、「ビジネスオープニング」に対する心構えについて、過去を振り返りながら私自身の反省も踏まえて書いてみたいと思います。

ビジネスは走りながら考える。そんな事を言うとコケたらどうする?って言う人が必ずいるだろう。助言してくれた人の立ち位置が自分と同じならば、助言に耳を傾けよう! 何かが違ったり、立ち位置が全然違う境遇の人であるなら、心配ご無用! あなたが肌で感じていることこそが信じるべき真実だよ、キットね!


 大手企業にエンジニアとして在職していたときの海外出張では、技術プレゼン資料を用意する以外は、現地のアポイントや移動手段の確保、宿泊するホテルの手配まで会社に全てお任せしていました。当時のプレゼンを今振り返ると、私が担当していたDRAM混載ASICのマクロ技術のメリットを強調することのみに注力した、独りよがりの肩肘張ったプレゼンだったと思います。一方的なプレゼンだったので、プレゼン相手であるネットワーク関連企業のエンジニアから問われるテクニカルタームには戸惑うし、システム全体から見たDRAM混載ASICのメリットにまで踏み込んだ技術提案とは程遠いものでした。正直、ビジネスオープニングに対する責任を背負っている感覚は薄かったと反省しきりです。

ハイテクベンチャーのビジネス立ち上げには、技術プロモーションが重要だ。特にハードウェア系は商品開発の期間が別途必要だから、技術の開発が終わってから製品の適用先を探しているようでは資金がショートしてしまう。開発しながら採用先を探して商品開発と並行することが必須。


 その後、大手企業からベンチャー企業に転職しました。その当時の海外出張では、これまでとは打って変わり、全ての準備や手配を自分自身でしなければならなくなりましたので、大手企業のぬるま湯から飛び出すとはこういうことなのかと身を持って経験できました。一方で、自社のコアとなるIP(Intellectual Property)を業界全体に広げるという目標を実現するために必要なネットワークを育てるのは難しかった。ネットワークを育てるには、技術の優位性をアピールするデモや、海外活動を支援する人材の登用、大手企業に食い込むための機会投資が必要でした。今振り返ると、大胆にビジネスオープニングを実行するだけの覚悟と行動力が足りなかったと反省しています。ベンチャー企業に所属しているだけでは、エンジニアとしての心構えを越えた行動を起こすことはできません。

何事も経験しないと本当に理解することはできない。事前調査は重要だが、走りながら考えることの方がベンチャーには必要だ。好奇心と行動力で何でも見て聞いて感じることが、道を開く唯一の方法だと思う。


 そして現在、ハイテクベンチャー企業の創業者兼経営者、そしてエンジニアとして海外へ出張しています。自分自身で準備や手配をするのは楽しみの1つです。安いホテルも、レンタカーでの移動も、自分の気分次第だと考えればストレスではありません。全てのビジネスに関わる決断が、投資資金を削ることと表裏一体だと思えば自然に覚悟が湧き出てきます。プレゼンでは、エンジニアとして当社の手掛けるフルデジタルスピーカー技術の優位性に加えて、顧客のオーディオシステムに採用したときのメリットまで噛み砕いて説明します。だからこそ、プレゼン資料を継続的にブラッシュアップするのはルーチン業務です。ビジネスオープニングのために最大限の努力をしつつ、一方で出張を楽しみながら新しいアイデアに頭を悩ます。気持ちに余裕がなければビジネスチャンスを見逃すのだと気付いたのも発見です。

ハイテクベンチャーの立ち上げには多くの幸運が必要だと言うが、幸運をリスクの裏返しと捉えて、いつまでも逡巡しても結論は出ない。そこにリスクがあるから、幸運もそこにある。幸運はつかみ取るもので、座して待つものではない。


 ビジネスオープニングのためには、顧客のシステムを考慮に入れた独りよがりではない技術提案や、技術を業界に広めるためのネットワーク構築、そして何より強い覚悟と行動力が必要です。物理の法則になぞらえれば、ビジネスを前に進める力は質量とスピードの掛け算です。大手企業の物量(質量)に対抗してハイテクベンチャーが生き残るためには、スピードを上げるしか方法はありません。そのためには、エンジニア自身がビジネスに前向きの心構えで行動するしかない。

 そんな重責を背負うことは、ハイテクベンチャーの経営者だけに必要でしょ〜って、そう思うかもしれません。ただ、日本企業の規模が縮小し、世界企業との差が広がるにつれて、旧来のエンジニア意識のままではますます引き離されるのは避けられない。求められている意識改革は、どこに所属しているかには関係ないですよね。



Profile

岡村淳一(おかむら じゅんいち)氏

1986年に大手電機メーカーに入社し、半導体研究所に配属。CMOS・DRAMが 黎明(れいめい)期のデバイス開発に携わる。1996年よりDDR DRAM の開発チーム責任者として米国IBM(バーリントン)に駐在。駐在中は、「IBMで短パンとサンダルで仕事をする初めての日本人」という名誉もいただいた。1999年に帰国し、DRAM 混載開発チームの所属となるが、縁あってスタートアップ期のザインエレクトロニクスに転職。高速シリアルインタフェース関連の開発とファブレス半導体企業の立ち上げを経験する。1999年にシニアエンジニア、2002年に第一ビジネスユニット長の役職に就く。

2006年に、エンジニア仲間3人で、Trigence Semiconductorを設立。2007年にザインエレクトロニクスを退社した。現在、Trigence Semiconductorの専従役員兼、庶務、会計、開発担当、広報営業として活動中。2011年にはシリコンバレーに子会社であるDnoteを設立した。



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