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シリコンバレーで活動しなきゃ、何も始まらない!!EETweets 岡村淳一のハイテクベンチャー七転八起(5)

ご存知のように、シリコンバレーは半導体業界やPC、IT業界では超有名な場所。この場所の魅力は何でしょうか? 一言で言えば、ベンチャー企業を作るための「反応容器」ということです。

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@trigence」のつぶやきを出発点に、企業経営のあれこれや、エレクトロニクス業界に思うこと、若い技術者へのメッセージを連載中!!→「EETweets」一覧

 皆さん、こんにちは! 先月(2012年1月)は、米国のラスベガスで開催された世界最大規模の家電展示会「International CES」の会期に、近隣のホテルでフルデジタルスピーカー用信号処理技術「Dnote」のプライベート展示を実施しました。

 その後は、シリコンバレーに戻って、顧客のフォローアップのためのプロモーション活動です。ご存知のように、シリコンバレーは半導体業界やPC、IT業界では超有名な場所です。「半導体系のハイテクベンチャーを名乗るからには、シリコンバレーで活動しなければ本物じゃない!」、そんな気持ちで当社も起業時からシリコンバレーでドタバタと活動しています。

シリコンバレーに来ると感じるのは、ここは技術をビジネスに変える反応容器だということ。臨界を超える技術だと認められれば、連鎖反応がものすごいスピードで始まる。もちろん、東京だってビジネスの反応容器ではあるが、シリコンバレーは燃料棒の密度が高いのと、連鎖反応への圧力が高いということが際立っている。


 小生が過去に関係したシリコンバレーの半導体関連ベンチャー企業と言えば、まず思い浮かぶのはカスタムチップ向けEDAベンダーの大手であるCadence Design Systemsです。1986年当時はSDAという名称でしたが、合併を重ねて大手になりました。高速インタフェースの雄であるRambusも有名です。スタンフォード大学の産学連携ベンチャーだった同社が、DRAMのシリアルインタフェース化を先導しました。この他にも、高速SPICEを手掛けるEPICはSynopsysに買収され、画像インタフェースICを手掛けるSilicon ImageはIntelと協業して大きくなりました。

 多くの半導体ベンチャーを育ててきたシリコンバレー。さて、この場所の魅力は何でしょうか? 一言で言えば、ベンチャー企業を作るための「反応容器」ですね。まず、ハイテク企業の集積度が飛び抜けている。だから、関連する企業を訪問するにしても、1日に3〜4件は楽にこなせます。当然、エンジニアの数と質、コミュニティの濃度、ネットワークを情報が伝わるスピードなど、集積されているがゆえに引き起こされる、これらの複合的な効果がシリコンバレーの価値をさらに高めています。そして、創業間もない企業に資金を提供するエンジェル投資家やベンチャーキャピタル(VC)、インキュベーション事業体など、投資面から起業を支えるインフラも完備されているのです。

シリコンバレーに来ると、新技術に対するエンジニアの対応の違いをあらためて感じる。人と同じく、技術に対しても第一印象は重要だが、「何が気に食わないか」をストレートに質問してくる前向きな対応と、思考を停止し、気に食わないという顔をして、質問も意見も口を閉ざす対応がある。


 残念ながら、当社はシリコンバレーで立ち上げた会社ではないので、これらのメリットを100%活用できるわけではありません。それにもかかわらずなぜシリコンバレーにこだわるのか? それは、日本に本社を持つ企業にとっても、「ネットワーク」と「フィードバック」、「レピュテーション(評判)」という観点で優れた場所だと考えているからです。

 まず、ネットワークについて。前述の通り、シリコンバレーではハイテク企業の集積度が飛び抜けています。アポイントが1社取れれば、芋づる式に複数の会社を訪問する機会を得やすいのです。人的ネットワークが密に交差しているので、「他に興味がありそうな人物を紹介してもらえないか?」と別れ際に一言聞くことで、別のキッカケをつかむ可能性も高い。もちろん、日本企業を紹介されることだってあります。

私はシリコンバレーで平気で技術をプロモーションする。相手がどれだけ大きい企業でも、チャンスがあれば対等に討論する。日本の企業でその調子で同じように討論してしまうと「生意気だ〜」って反感買う。重要なのはTPO(Time、Place、Occasion)だ。日本向けに着飾るのも必要だが、時には野獣となって戦うことができないとダメだ。


 次にフィードバックについて。とにかく、エンジニアが前向きです。面白い! 興味深い!と思ったらどんどん意見を言ってくれる。「ヘッドフォンに向いているじゃないか?」、「玩具にも使えそうだね〜」など、プレゼンテーションをブラッシュアップするために役立ちそうなフィードバックをたくさんもらえます。自分たちでは思いもかけなかったアプリケーションのアイデアをもらうことも多くあります。

 最後にレピュテーションについて。シリコンバレーで新技術が知られるようになれば、世界への発信効果は抜群です。技術そのものへの信頼も高まります。ベンチャーキャピタルの集積地として有名な「サンドヒル」の超一流ベンチャーキャピタルから投資を直接受けるのは難しいにしても、プレゼンテーションを契機に日本での投資の話が進む可能性は高い。当然、企業価値に与える影響だって無視できません。シリコンバレーで認められた技術だって噂になれば、それが実際のビジネスに与える効果は計り知れないのです。

シリコンバレーで何ができるのかって? だって、ここに来なければ何も起きないんだよ。まともな会社なら費用対効果を計算するのだろうけど、ハイテクベンチャーは行動することに優先度があるのだ。行動しなければ死が待つだけ。国内だろうが海外だろうが必死にジタバタする。それが生き残る唯一の道だ。


 言うはやすし。シリコンバレーで活動するための英語力なんてないよ〜って? 確かに流ちょうに英語でプレゼンするのは難しいかもしれない。でもね、シリコンバレーでは英語がネイティブじゃない人の方が多い。めちゃくちゃな英語でも会話をしなければチャンスを失う特殊な土地がシリコンバレー。だから、世界中から人材が集まってくるし、それをサポートする人もいる。重要なことは、自らの情熱。語るべき技術があるなら、何も心配することはない。チャレンジするだけの価値は十分高いと思うよ。

Profile

岡村淳一(おかむら じゅんいち)

1986年に大手電機メーカーに入社し、半導体研究所に配属。CMOS・DRAMが 黎明(れいめい)期のデバイス開発に携わる。1996年よりDDR DRAM の開発チーム責任者として米国IBM(バーリントン)に駐在。駐在中は、「IBMで短パンとサンダルで仕事をする初めての日本人」という名誉もいただいた。1999年に帰国し、DRAM 混載開発チームの所属となるが、縁あってスタートアップ期のザインエレクトロニクスに転職。高速シリアルインタフェース関連の開発とファブレス半導体企業の立ち上げを経験する。1999年にシニアエンジニア、2002年に第一ビジネスユニット長の役職に就く。

2006年に、エンジニア仲間3人で、Trigence Semiconductorを設立。2007年にザインエレクトロニクスを退社した。現在、Trigence Semiconductorの専従役員兼、庶務、会計、開発担当、広報営業として活動中。2011年にはシリコンバレーに子会社であるDnoteを設立した。



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