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新人エンジニアへのエール〜環境からどう学ぶか? 何を学ぶか?〜EETweets 岡村淳一のハイテクベンチャー七転八起(6)

新社会人がどのように仕事に立ち向かうか? 大企業からベンチャー企業へと渡り歩いてきた経験をもとにエールを送るとすれば一言、「仕事は受け身に教えてもらうものじゃない」ということ。

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@trigence」のつぶやきを出発点に、企業経営のあれこれや、エレクトロニクス業界に思うこと、若い技術者へのメッセージを連載中!!→「EETweets」一覧

 皆さん、こんにちは! このコラムが出るころには、だいぶ春めいているのではないでしょうか。そして4月なると、たくさんのエンジニアの卵が社会に飛び込んできます。慣れないビジネススーツに身を包んだ姿を見掛けると、大きな夢と不安を胸に抱いていた新人の時の自分を思い出します。あれから約25年、自らハイテクベンチャーを立ち上げ、切り盛りしているなんて、当時の自分には完全に「想定外」です。

 「新社会人がどのように仕事に立ち向かうか?」というテーマの助言はちまたにたくさん溢れているし、高名な書籍も多くある。いまさら小生が新人エンジニアにコメントするのはおこがましいけれど、大企業からベンチャー企業へと渡り歩いてきた経験をもとにエールを送るとすれば一言、「仕事は受け身に教えてもらうものじゃない」ということ。

まだ新入社員に毛が生えた程度だったころ、中堅の先輩が転職してしまい、それまで彼の仕事だったツールの保守だとかソフトの開発などをすべて自分が引き継ぐことになった。できませんよ〜と泣き言いわずに、そのときに前向きに取り組んだことがその後にスゴく生きた。若い時に逃げ癖をつけないことだね。


 大手企業に入社したばかりの新人時代、配属された研究所のチューターは3カ月の間一言も会話を交わしてくれなかった。これは相当のストレスで、何度も会社を辞めようと思った。ある日のこと、自分で考えた回路に関してコメントを求めたら初めて会話をしてくれた。自分で考えて答えを導き出してから質問しなければならないんだと、そのとき気付いたんだ。教えてもらうのではなくて、自ら考えたアイデアをもとに互いに議論する。エンジニアは互いが対等のパートナーとしてアイデアをブラッシュアップしていく中で学び、成長する。チューターは、そのことを新人の自分が理解するまで辛抱強く我慢していた。今でも尊敬する、素晴らしいチューターだったと思う。

 知識労働者としてのエンジニアを目指すならば、仕事も勉強も自ら意思をもってするもので、他人から強制されるものでは断じてない。イノベーションに加担することを求められている職種であれば、自ら行動することが基本だろう。一方で、自分が置かれた環境を成長ができないことの言い訳にする人がいる。上司が技術を教えてくれないことを、不満に思う人もいる。事実、そういうことを理由にベンチャー企業を辞めた、エリート大学出身の新入社員もいた。だけど、山の頂上を目指すのに、途中までロープウェイで持ち上げてくれないことを理由にするなら、それは違うだろう。5合目まで自力で登れない人は、5合目から始めても頂上にはいけないよ。

「褒めて育ててほしい」とか言うけど、ビジネスの交渉事で相手から褒められて調子に乗るようじゃその時点で失格だよね。「○○先生」とか持ち上げてくる相手にいいように丸め込まれるようじゃ責任ある上司にはなれないよ。部署を統括する人物になるのが目標なら腐っても口に出してはならない。


 何事も他人のせいにしない、環境のせいにしない、与えられた境界条件のもとで最大の成果を出すことに集中する。リソースや予算、時間や設備……。ベンチャー企業に所属するエンジニアの中には大企業をうらやむ気持ちがどこかにあるかもしれないが、どんな大企業でも仕事環境をめぐる制限はあるし、ベンチャー企業の方が開発に集中できるケースだってあるんだ。不満を言う時間があるなら、結果を出すための努力に使うべきだよね。逡巡(しゅんじゅん)しない。まず行動する。そうすると新たな課題が見えてくる。その繰り返しがエンジニア力を高めてくれると信じている。

最近は上司が少し厳しくすると、パワハラとか言うけれど。怒られるうちが華だってことを忘れないほうがいい。30歳を過ぎたら誰も注意してくれないよ。「あ〜あいつはああいうやつだから」で終わり。怒られるってことは期待されている裏返しなんだから、必死になって自らを変えてかないといけないんだよ。


 とはいえ、人間はメンタルな存在だ。常にモチベーティブに自分の気持ちをコントロールしていくためには目標の設定が必須だ。お勧めは、将来自分がなりたい姿を、目標に持つこと。例えば小生は、職場の先輩と同等の技術力を持つことが最初の目標だった。職場に配属された外国人エンジニアがきっかけで、海外で仕事をすることが目標になった。その後、海外で技術力を認められると、組織を飛び出して力試しすることが目標になった。ベンチャー企業に飛び込めば、その会社の技術を一流にすることが目標に変わった。誰に言われたわけでもない。自分が決めた目標に近づくたびに、新しい目標が生れてくる。成長とはそういうものだと思う。

仕事キャリアのフロー化とは、狭い領域での専門職としての技術の積み重ねではなくて、多種多様な新技術に対応できる柔軟性だと考える。現代の新技術の多くは既存の技術をベースにできている。だから、雑多な既存技術の本質を理解することが柔軟性を鍛える。広く浅くうわべだけを学ぶことではない。


 なんか社会人って疲れるなぁ〜って感じるかもしれない。製造業苦難のご時世だから、特段の目標もなく与えられた仕事を淡々とこなしたり、ストレスで身体を壊している先輩も周囲に多いかもしれない。だからといって、自分まで目標を失ってはならない。目標に向かって歩いている限り、未来は常に「想定外」に開けているんだよ。

Profile

岡村淳一(おかむら じゅんいち)氏

1986年に大手電機メーカーに入社し、半導体研究所に配属。CMOS・DRAMが 黎明(れいめい)期のデバイス開発に携わる。1996年よりDDR DRAM の開発チーム責任者として米国IBM(バーリントン)に駐在。駐在中は、「IBMで短パンとサンダルで仕事をする初めての日本人」という名誉もいただいた。1999年に帰国し、DRAM 混載開発チームの所属となるが、縁あってスタートアップ期のザインエレクトロニクスに転職。高速シリアルインタフェース関連の開発とファブレス半導体企業の立ち上げを経験する。1999年にシニアエンジニア、2002年に第一ビジネスユニット長の役職に就く。

2006年に、エンジニア仲間3人で、Trigence Semiconductorを設立。2007年にザインエレクトロニクスを退社した。現在、Trigence Semiconductorの専従役員兼、庶務、会計、開発担当、広報営業として活動中。2011年にはシリコンバレーに子会社であるDnoteを設立した。



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