ベンチャーキャピタルから投資を受ける、「ワイルドだろう〜」:EETweets 岡村淳一のハイテクベンチャー七転八起 ―番外編―(2/2 ページ)
フルデジタルオーディオ用信号処理技術「Dnote」の事業化を目指している当社は、Intel Capitalから大規模な投資を受けることになりました。起業家とベンチャーキャピタルはどのような関係を構築すべきでしょうか。いわば「ポケモン」と「ポケモントレーナー」のように、相互の信頼関係の上に同じ夢を描けることが重要です。
判断基準は、つまるところ「起業家自身」
VCが投資を決める際に、最も重視する判断基準は何でしょうか。小生の一連の少ない経験から結論付けるとすれば、それは「起業家自身」なのだと感じました。国の助成金の採択では、応募課題に対して数十人もの大学の重鎮教授の意見が重用されます。もちろん、VCの担当者も、提案された新技術を事業会社に紹介することでその真価を測ろうとしますし、米国のVCは多くの場合、専門技術家チームをプレゼンに同席させます。
ただし、VCがそのような第三者による技術判断を基に最終的に投資を決めるのか?と問われれば、答えはNoでしょう。技術が事業化できるかどうかは、技術の良しあしにもまして起業家の志や姿勢が重要です。VCの投資では、起業家の人間性と技術を少数の投資責任者が判断します。助成金の交付が、多数の第三者の技術判断をよりどころにする権威主義なのとは、ベクトルが180度異なる判断基準ですよね。
ですから、VC資金の獲得を狙うなら、実戦を通した訓練が何より重要なのです。事業化が見えてきたり、手元の資金が厳しくなってからでは、人間性を鍛えるのには遅すぎる。「この人が担いでいる技術なら投資をしても大丈夫だろう」、「このプレゼンならターゲットの機器メーカーが納得するだろう」、「この経営スタイルなら無駄遣いしないだろう」などなど、VCが人間性を総合的に判断するには時間がかかります。正直なところ、アーリーステージの投資やハイテクベンチャーの事業計画なんて、鉛筆なめればいくらでも数字は作れます。お互いそんなことは当然承知の上で、相互の信頼関係の上に同じ夢を描けるのか? それが何より重要です。
もしかすると、甘い!というご指摘を受けるかもしれませんが、小生はVCを、開発資金を与えてくれる単なる「金づる」とは考えていません。お互いの持つ強みをそれぞれ持ち合い、新技術を事業化するまでのイコールパートナーだと捉えています。投資金額の多寡だけを判断基準にするのは、少なくともアーリーステージのベンチャー企業がすることではないでしょう。いわば、「ポケモン」と「ポケモントレーナー」の関係のようにお互いに信頼関係が築けること、何ごとにもフレキシブルに対応しつつ投資対効果を最大化する努力を惜しまないトレーナーを選択することが重要だと感じています。
「あ〜、もう後戻りはできないんだよね」
当社も、とうとう第三者から大規模な開発資金を受け入れてしまいました。最終的な契約書にサインをする時に「あ〜、もう後戻りはできないんだよね」と感じたことを思い出します。なぜって? 技術的に完成させるだけでなく、事業としても成功するまで投げ出すことのできない覚悟を求められるからです。と同時に「あ〜、ようやく第三者に評価してもらえるまでになったのだね〜」と、今まで周りからボロクソに言われた体験を思い出して、感慨に浸ったのも確かです。
こんな小生の経験を一人でも多くの若いエンジニアに経験してもらいたい、アイデアを事業化するまでのイバラの道にぜひチャレンジしてもらいたい。その一歩を踏み出す支えに、本連載が少しでもお役に立てれば幸いです。さて、飛行機の高度もだいぶ下がってきました。もうすぐノートPCの電源を切らねばなりません。Intel Capitalから投資を受け入れた当社の今後の活動と、Dnote技術の展開にご注目ください。今後ともよろしくお願いします。
投資手法などのテクニカルな話や、VC投資に関わる損得、VCが投資対象の会社の実態を把握し、問題点の有無を把握するための調査「デューデリジェンス」への対策、VCと事業者の持ち株比率の適正な割合、優先株やワラントを使った資金調達など、VC投資にはさまざまなトピックがあります。これらに関心のある方は、専門書籍やインターネットの情報源をご参照ください。
Profile
岡村淳一(おかむら じゅんいち)
1986年に大手電機メーカーに入社し、半導体研究所に配属。CMOS・DRAMが 黎明(れいめい)期のデバイス開発に携わる。1996年よりDDR DRAM の開発チーム責任者として米国IBM(バーリントン)に駐在。駐在中は、「IBMで短パンとサンダルで仕事をする初めての日本人」という名誉もいただいた。1999年に帰国し、DRAM 混載開発チームの所属となるが、縁あってスタートアップ期のザインエレクトロニクスに転職。高速シリアルインタフェース関連の開発とファブレス半導体企業の立ち上げを経験する。1999年にシニアエンジニア、2002年に第一ビジネスユニット長の役職に就く。
2006年に、エンジニア仲間3人で、Trigence Semiconductorを設立。2007年にザインエレクトロニクスを退社した。現在、Trigence Semiconductorの専従役員兼、庶務、会計、開発担当、広報営業として活動中。2011年にはシリコンバレーに子会社であるDnoteを設立した。
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