「工学」を食材に、「ビジネス」という料理を作り上げよう!:EETweets 岡村淳一のハイテクベンチャー七転八起(10)
生まれたアイデアをベースの食材にして、特許戦略や特許ライセンス、サービス、価格といった多様なビジネス上の概念を加えながら美味しい料理を作り上げること。それが「工学とビジネス」の関係ではないでしょうか。
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皆さん、こんにちは。今回は「工学をビジネスにいかにつなげるか」という深淵なテーマですが、決して難しく語るつもりはありません。小生がエンジニア人生を歩み始めるキッカケの他、大手機器メーカーの研究所時代や海外でのアライアンス・プロジェクトでの体験、そしてファブレスベンチャーの立ち上げなど、アカデミックに近い職場と日々サバイバルの職場という両極端を渡り歩いた経験を織り交ぜながら、「工学とビジネス」への思いを語ります。皆さんそれぞれの経験や思いと比べていただくことで、何かの契機になれば幸いです。
小生にとって、「工学(=エンジニアリング)」の価値って他人が喜んでもらえるモノを提供するということです。そして、喜んでもらった対価として「金品(=ビジネス)」をいただけることに幸せを感じます。
極端な例えかもしれませんが、料理に置き換えれば分かりやすいですね。つまり、自分は一流の料理人でありたいし、一流のレストラン経営者でもありたい。いかに料理の腕が一流でも、サービスが悪かったり、美味しくなかったりと、お客さんが満足しなければビジネスにはなりません。工学をビジネスにつなげるには、一流の料理人と経営者という2つの異なるスキルをうまく結び付ける必要があります。
工学が面白いのは、常に妥協の結果だということだと思う。コストやマーケットやさまざまな外部要件の下で、ベストの技術的な解を求めるのが工学的なアプローチだ。だから外部要件が変わるとイノベーションとなる。制約を加えている何かを突き崩すことで、新たな商品や技術が生れるんだよね。
小生が研究所に在職していた新人のころを振り返ると、開発していたDRAMをビジネスにつなげるという意気込みは随分と希薄だったように思えます。競合他社との競争の中で、性能やコスト、生産性を上げること、それが部署やエンジニア個人の目標になっていました。しかし、どうしたら顧客に喜んでもらえるのか? 当社のDRAMを使うことで顧客が得るメリットは何か? そういう視点では仕事に取り組んでいませんでした。大反省すべきですね。
日本とドイツ、米国の企業によるアライアンス・プロジェクトに出向したときに記憶に残っているのは、半導体パッケージの標準化問題でした。ご存じのようにメモリ製品は世界中のメーカー間でパッケージが標準化されています。この標準化作業を進めているのが「JEDEC」という国際機関なのですが、そこは各社の思惑が陰で渦巻く泥臭い場所でもあります。日本が先行開発していたパッケージを国際標準にしようと提案していましたが、海外のライバルメーカーは、日本の先行逃げ切りを許さないために、もう一回り小さなパッケージサイズを提案して、先行グループの製品開発にブレーキをかけようと活動していました。
工学の場合は、学会でも成果に対する質問のベースに経済性とのトレードオフが必ずついてまわる。半導体設計なら「チップ面積への影響」とか「消費電力への影響」とかだ。研究の成果がビジネス的なインパクト、つまりは商品としての魅力につながっていない研究は評点が低い。
小生が参加していたアライアンス・プロジェクトの中でも、先行逃げ切りを狙う日本勢と、標準化から取り残されることを恐れたドイツ勢の間で毎日のように熱い議論がありました。水掛け論になりそうなパッケージサイズ論争に最終的に決着をつけたのは、メモリ設計とは無関係のシステムエンジニアからの一声でした。PCのシステム開発部隊を持つ米国勢の「このままでは、システムに必要な記憶容量を満たすDRAMモジュールの設計が難しい」という意見が決め手となり、チップを縮小してもう一回り小さなパッケージサイズに入るように、DRAMのアーキテクチャレベルからの再設計の方針が決定されたのです。
小生が、その後飛び込んだベンチャー企業は、大手企業の研究所やアライアンス・プロジェクト時代に比べると、「売ってなんぼ」の世界でした。もちろん性能の高い製品を設計することはエンジニアリングとしての最低条件です。しかし、ビジネスの勝敗を決めるのは、機能の追加、供給体制(デリバリー)、不良品への対応、リファレンスボードの設計、価格の設定などなど、顧客満足度を上げる総合力です。ですから、営業担当者が持ってきた要求には常に最大限の努力を払って対応します。その代わり、作ったモノは世界の果てに行ってでも売ってもらう。営業担当者との真剣勝負に基づいた信頼関係が、最終的には顧客満足につながるとその時に学びました。
工学はビジネスへの結果を伴うべき学問だと思う。エンジニアの卵は、結果を出すために必要なアプローチ方法やツールとして数学や物理を勉強すべき。加えて、モノ作りからの脱皮を求められている日本の産業界には、しっかりとした基礎に基づいた新しい発想ができる人材が求められている。頑張れ!
「あなたの仕事は何ですか?」と尋ねると、「設計ツールのサポートをしています」とか、「PLL回路の最適化をしています」とか、高度に分業化されたミクロレベルの仕事(=エンジニアリング)について説明する方がいますが、本当は会社の利益の源泉になっている商品(=ビジネス)に関してまず説明すべきではないでしょうか。そして、そのビジネスで利益を出すために、自分自身が担当しているエンジニアリングがどのように役に立っているのか? それを常に意識することが、今ほど求められている時代はなかったのではないかと感じます。
工学が面白いのは、答えが1つではないことだと思います。そこには、エンジニアリング上の作戦があり、さらには経済的な限界の中で多様なアイデアの勝負と試行錯誤が繰り広げられています。そして、生まれたアイデアをベースの食材にして、特許戦略や特許ライセンス、サービス、価格といった多様なビジネス上の概念を加えながら美味しい料理を作り上げること。それが「工学とビジネス」の関係ではないでしょうか。
工学がビジネスでの結果を伴うべき学問だとすると、エンジニアリングの責任者はどのように振る舞うべきだろうか? 既存の技術のブラッシュアップと、新規技術の種まきのバランスが時に命運を分ける。組織の運営能力に加えて、技術に対する冷徹な洞察が必須。トコロテン人事でこなせる仕事じゃないよね。
日々の忙しい業務の中で、ビジネス全体を俯瞰(ふかん)した意見を述べても誰も相手にしないって? そうかもしれない。だけど日頃から意識してエンジニアリングとビジネスの関係を考えることは、エンジニアに絶対に必要な訓練だと思いますよ!
Profile
岡村淳一(おかむら じゅんいち)
1986年に大手電機メーカーに入社し、半導体研究所に配属。CMOS・DRAMが 黎明(れいめい)期のデバイス開発に携わる。1996年よりDDR DRAM の開発チーム責任者として米国IBM(バーリントン)に駐在。駐在中は、「IBMで短パンとサンダルで仕事をする初めての日本人」という名誉もいただいた。1999年に帰国し、DRAM 混載開発チームの所属となるが、縁あってスタートアップ期のザインエレクトロニクスに転職。高速シリアルインタフェース関連の開発とファブレス半導体企業の立ち上げを経験する。1999年にシニアエンジニア、2002年に第一ビジネスユニット長の役職に就く。
2006年に、エンジニア仲間3人で、Trigence Semiconductorを設立。2007年にザインエレクトロニクスを退社した。現在、Trigence Semiconductorの専従役員兼、庶務、会計、開発担当、広報営業として活動中。2011年にはシリコンバレーに子会社であるDnoteを設立した。
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