自動運転車はステレオカメラだけで実現できる――「アイサイト」開発者に聞く:東京工業大学放射線総合センター准教授 實吉敬二氏(1/2 ページ)
自動運転車などに不可欠な自動車の周辺環境を検知するセンサーとしてステレオカメラが注目を集めている。ステレオカメラの第1人者で、富士重工業のステレオカメラを使った運転支援システム「アイサイト(EyeSight)」の開発にも携わった東京工業大学放射線総合センター准教授の實吉敬二氏にステレオカメラの可能性などについて聞いた。
2014年1月15〜17日に開催された自動車技術の展示会「オートモーティブワールド2014」(東京ビッグサイト)の日本アルテラブースで、ステレオカメラのデモが披露された。このステレオカメラシステムは、FPGAのわずか1万1000LEの回路でカメラに映る物体までの距離が検出できるシステムであり、自動車の走行支援システムなどの用途に向けて提案を行っている。
この小さな回路で実現されるステレオカメラのアルゴリズムは、富士重工業の走行支援システム「アイサイト(EyeSight)」のステレオカメラシステムを開発した實吉敬二氏(現・東京工業大学放射線総合センター准教授)が開発したもので、「アイサイトのアルゴリズムとほぼ同じ。このアルゴリズムがより多くの人に使われることは、大変、うれしいこと」とし、IPとして広く提供することを決めた。
實吉氏は、「レーダーやレーザーなしに、ステレオカメラだけで自動運転車は実現できる」とステレオカメラの可能性の高さを強調し、ステレオカメラの普及促進を狙っている。ステレオカメラ開発の第一人者である實吉氏に、ステレオカメラの可能性や、自動運転車実現に向けた開発などについてインタビューした。
最初はエンジンの燃焼状態の解析用から
EE Times Japan(以下、EETJ) ステレオカメラの開発を始められたきっかけは。
實吉氏 富士重工に勤めていた1988年から、エンジンの燃焼状態をあらゆる方向から解析するためにステレオカメラを応用したことが最初だ。その解析技術を知った当時の役員が、ぶつからない車を実現するために応用できるということで、衝突防止向けの開発が1990年ぐらいからスタートした。
EETJ 開発着手からアイサイトとしての普及まで、長い時間を要しましたね。
實吉氏 開発着手からまもなく、アイサイトに搭載されたステレオカメラとほぼ同じ回路を開発し、特許も取得している。1992年には、ステレオカメラを搭載した実験車を製作し、1994年ごろの東京モーターショーでもステレオカメラによる衝突回避ブレーキを公開していた。私自身、そのころには、商品化できる技術水準にあると確信していた。ただ、少し(技術確立の時期が)早すぎたのか、商品化、普及までには時間がかかった。
EETJ 車以外での応用例などはあったのですか。
實吉氏 ステレオカメラの最初の商品化は、農薬散布用のヘリコプターから始まった。正しく農薬散布するためにはヘリコプターの高度を一定に保つ必要がある。それまでの高度計は、点で高度を計測していたため、ヘリが風で傾いたりした場合に正確な高度を計測できなかった。一方でステレオカメラは、面で計測することから、ヘリが傾いた状態でも正確な高度を計測できるため、1996年に採用された。そして、1999年には、運転支援システム「ADA(Active Driving Assist)」として自動車向けに発売したが、価格が高いこともあり、売れ行きは芳しくなかった。
FPGAの存在
EETJ 当時のステレオシステムの規模はどれぐらいでしたか。
實吉氏 最初の実験車の時は、荷台を占有してしまうほどの大きさだった。ソフトウェア処理を行えばもう少し小型化することもできたが、衝突防止として実用化するにはリアルタイム処理が必須であり、最初からロジック素子でシステムを構成したため大型化した。
しかし、1996年ごろにはデバイスやカメラといったハード類が大きく進化し、ヘリコプターに搭載できるまでに小型化できた。加えて、ヘリコプターへの搭載には、FPGAの存在も大きかった。ヘリコプターの生産数は年間多くても数十台。ASICは回路規模が急速に大型化した一方でコストも大きく増大し、数量の見込めない用途ではASICを起こすことが難しくなっていた時期であり、FPGAがなければ製品化できなかっただろう。開発面でも、FPGAがあったことにより、いろいろなことを気軽に試すことができた。FPGAがなければ、ステレオカメラの進化速度はもっと遅かったかもしれない。
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