AIはどこへ行く? 〜人間との共存共栄は可能なのか〜:“AI”はどこへ行った?(最終回)(1/3 ページ)
ビッグデータ処理や音声ガイダンス機能などで、再び注目を集め始めた人工知能(AI)。過去には「人間 vs 機械」といった歴史もある中で、社会におけるAIの役割や立ち位置はどうなっていくのだろうか。AIの近未来について考えてみよう。
“元”エンジニアの筆者が、広く浅くAI(人工知能)について思うことを気ままにつづってきた本コラムも、今回をもって最終回となる。このコラムを始めたきっかけは、スマートフォンに搭載されている音声認識機能が、思ったよりも賢かったこともあるが、「AI」という言葉をここ何年も耳にしなくなり、学生時代に人工知能やロボットに強い関心を持っていた自分にとって、最近の研究や技術レベルがどの程度になっているのかを知りたかったという個人的興味によるものも大きかった。
最終回では、近未来における機械と人間の共存・共栄について、考えてみたい。
猫もしゃくしもビッグデータ
2014年1月、IBMから人工知能「Watson」の開発を専門に手掛ける事業部「IBM Watson Group」の設立と、同グループに対する投資計画が発表された(関連記事:IBMが人工知能「Watson」の開発を加速、新事業所設立で10億ドル投資へ)。1997年にチェスの世界チャンピオンに勝利した「Deep Blue」に続くスーパーコンピュータとして位置付けられたWatsonが、2011年にアメリカのクイズ番組で優勝したことは記憶に新しい。しかし、その後は特に目立ったニュースもないまま数年が過ぎている。ではなぜ今、Watsonなのかと言うと、やはりビッグデータに起因するようである。
本連載においても、“ハード的AI”よりも“ソフト的AI”に主軸が移りつつあることは、何度も述べてきた。AI活用のキーは、非構造化データに代表されるビッグデータを「知的に処理をすること」になりつつあり、それがAIの様相を変えている(第4回:AI活用の本命はビッグデータなのか?)。
ここ数年、IT/コンピュータ関連の雑誌やWebサイトの記事において、ビッグデータという言葉を耳にしない日はない。異常なくらいのブームだ。これに伴い、ビッグデータを解析し、ビジネスやライフスタイルに活用するコンピュータ処理と統計学に精通した専門家――“データサイエンティスト”なる職業――もフォーカスされている。時代の流れでもあるので、それはそれで構わないが、仮に“大量のデータ処理”が「AIのあるべき究極の姿」だと限定してしまうと、夢もへったくれもない。
半導体の集積度と処理速度が著しく向上した結果、高性能なハードウェアが安価にできるようになったことと、通信回線の高速・大容量化が進み、クラウドの登場がコンピューティングを加速させたこと。極論を言えば、この2つのインフラが技術革新によって整ってきたので、これまで捨てられていたようなデータにまで目を向ける余裕ができたのである。
そのため、これらのデータを企業のマーケティング活動や自然災害の予測に生かすなど、積極的に活用する試みを始めたにすぎない。通常のプログラミングのように、処理の手続きをあらかじめインプットしなくとも、元データの振る舞いから傾向や規則性を見いだして、予測する――。これらの役目をAIが果たすようになってきただけのことだ。それに、データサイエンティストがAIの専門家ではないことも、言うまでもないだろう。
話を戻して、IBMのWatsonも、やはり対象はビッグデータである。だが、Watsonの前のDeep Blueのように、人間とチェスで勝負をして、「推論」と「学習」を繰り返し、人間を打ち負かすコンピュータの方が、よほどAI的である。
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