“電力大余剰時代”は来るのか(後編) 〜原発再稼働に走る真の意図〜:世界を「数字」で回してみよう(5)(2/3 ページ)
前編で、「日本では、あと十数年もすれば“電力が余る時代”が到来する」という結論に至りました。ではなぜ、政府はあれほどまでに原子力発電所を再稼働させたがっているのでしょうか。その真の意図を読み解くキーワードは「オイルショック」であると、考えられます。
2度のオイルショック
当時の日本はイスラエルを支持していたわけではないのですが、少なくともイスラエルを支持しているアメリカとは「友だち」ということになっていました。もし、アラブ諸国が「友だちの友だちは、友だちだよな」などと言い出して、日本への原油輸出を止めたら、どうなるでしょうか?
その時の日本政府や企業は、中東とのパイプの強い政治家を派遣し、また会社の社長たちは、独自に石油の確保に奔走しました。「石油が手に入るのであれば、値段などはどうでもいい」という錯乱状態でしたので、たちまち原料不足や資材の高騰、操業時間の規制などにより物価は急騰することになりました。
消費者である私たちも踊り狂いました。
「モノがなくなる」という風説が口コミで広がり、スーパーでは開店と同時に買い物客が殺到し、トイレットペーパーを求めて店の中で奪い合いが始まっていました。砂糖・しょうゆ・洗剤などの生活物資の買いだめが続きました。当時小学生だった私も、1人1パックしか買えない卵を求めて、母親にスーパーマーケットに連れられ、レジの列に並ばされたのを覚えています。
エスカレータ、ネオンサインが止められ、野球のナイターがデーゲームに代わり、そしてテレビの深夜放送が自粛されました。
さらに小売業者の買占め、売り惜しみ、便乗値上げが横行し、まさに「狂乱物価」の様相を呈していました。
私たち日本人はその時、本当の意味で、自分の国が「持たざる国」であることに、そして、外国の気まぐれな輸出制限一つで、日本の国民全体の命が危機にさらされる惰弱な国であることに、気が付いたのです。
さらにその6年後の1979年には、イランでイスラム革命(イラン革命)が起こりました。イランからの石油の供給が止まり、第二次オイルショックが起こり、第一次と同様の混乱を経て、私たち日本人は、日本が「持たざる国」であることを、またしても思い知らされたのでした。
―― 過去、「オイルショック」という恐怖に2回もさらされた。
政府や経済界が、あれほどまでに原発を再稼働させたがっているのは、この事実があるためだと考えられるのです。
原発は、不足電力の担保が目的ではない
しかし、原子力発電であっても、結局のところ燃料であるウランを輸入しなければならない点では、他の化石燃料を使った発電方法と同じ話です。火力発電などを「国産エネルギー」と呼ばないのであれば、原子力発電も「国産エネルギー」ではないはずです。
ただし、原子力発電は、燃料のストックがしやすいという点で、石油や石炭に比べると有利です。(参考記事:なぜ、福島原発“5重の壁”は簡単に壊れ放射性物質が放出した?)。
10トントラック2台分のウランで、100万kWの電力が1年分作れるのです。これを、火力発電でやると、20万トンタンカー*)7台分の石油が必要になります(約7万倍)。これだけコンパクトなモビリティ性の高い燃料であれば、いざとなったら、非合法な手段でも入手できそうですしね(できないか)。
*)参考記事はこちら
結局のところ、「不足電力の担保」ではなく、「非常用電源の確保」が目的なのだと思います。
政府や経済界はとにかく、安定した電力エネルギーを確保できて、外国の気まぐれでエネルギー燃料が入手できなくなるような事態が避けられるのであれば、どんなエネルギーだって構わないはずなのです。
事実、今の日本は、「外国の気まぐれ」対策として、バラバラの国から、ちまちまとエネルギー燃料を買い付けています。ざっくりこんな感じです。
―― 節操のない買い物しているなぁ
などと思うわけがありません。
特定国で一気買いすれば安く購入できるが分かっていても、それができない「持たざる国」日本。とにかく、取引してくれる国とは、コスト度外視で、どんなささいなコネでも作っておくという、「全方向」からエネルギー資源を確保するという涙ぐましい戦略が見てとれます。
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