近代科学の創始者たちに、研究不正の疑いあり(天動説の「再発見と崩壊の始まり」編):研究開発のダークサイド(9)(1/3 ページ)
プトレマイオスの「数学集成(アルマゲスト)」を「再発見」することに大きく貢献したレギオモンタヌスは、「再発見」以降に同書を最初に批判した学者でもあった。「数学集成(アルマゲスト)」の欠点に気付いたレギオモンタヌスは、新しい天文学理論の構築に取り掛かる。しかし、レギオモンタヌスが早逝したことにより、その試みは、ついえる。後を引き継いだのが、地動説への一大転換を果たすことになるコペルニクスであった。
ラテン語の「天動説」抄訳本はギリシア語の原典よりも優れていた
本シリーズの前回は、天動説から地動説への一大転換のきっかけとなったのが、天動説の数学的理論体系が15世紀後半に西欧社会で精密な形で紹介されたこと、すなわち天動説の「再発見」にあったことをご紹介した。前回の文章を再掲する。
「「数学集成(アルマゲスト)」の数学的な内容を正確に伝えたラテン語訳を完成させたのは、オーストリアの天文学者ゲオルク・ポイルバッハ(プールバッハとも表記)(Georg Purbach、1423年5月30日生〜1461年4月8日没)と、その弟子でドイツの天文学者レギオモンタヌス(Regiomontanus、1436年6月6日生〜1476年7月6日没)である。」
ここで「数学集成(アルマゲスト)」とは、古代ローマの天文学者プトレマイオスが紀元2世紀半ばにまとめあげた天文学の大著を指す。観測に基づいた天体の運動に関する数学的理論の集大成であり、当時の天文学を支配していた天動説のバイブル(聖書)とでも呼べる、絶対的な存在だった。
師匠ポイルバッハによる「数学集成」の翻訳作業を引き継いだ弟子のレギオモンタヌスが1464年までに完成させたとされるラテン語訳書は、タイトルの「数学集成の摘要」が示すように抄訳である。しかし抄訳でありながら「数学集成の摘要」は、いくつかの点で原典である「数学集成」よりも優れていた。原典(ギリシア語)の「数学集成(アルマゲスト)」は極めて難解であり、そのままラテン語に翻訳されたとしても、読んで理解することは容易ではなかったはずである。
ところがレギオモンタヌスの「数学集成の摘要」は、原著を「数学的な厳密さを損なうことなく明快なものに書きなおし、「数学集成」の抑揚に乏しい記述を命題とその証明という形に整理したもので、挿図も数多く――全274頁に実に287図――プトレマイオス理論の普及に大きく貢献することになった」(山本義隆、『世界の見方の転換』、第1巻、206ページ、みすず書房、2014年刊行)。
「数学集成の摘要」は良い意味で明らかに翻訳書の範囲を超えており、学生が天文学の知識を吸収するための良質な解説書、あるいは良質な教科書とでも呼ぶべき水準に達していたことが分かる。
天動説の「再発見」が天動説の批判に直結
レギオモンタヌスは師匠のポイルバッハを除けば、15世紀後半の西欧社会でプトレマイオスの理論体系を完全に理解していた唯一の人物だといえる。そればかりか、数学の天才にして優れた観測天文学者でもあったレギオモンタヌスは、プトレマイオスの著作を理論と測定(観測結果)の両面から、鋭く批判していった。皮肉なことに、天動説「再発見」の立役者自身が、「再発見」後の最初の批判者となってしまったのである。
レギオモンタヌスによる観測結果は、少なくない箇所でプトレマイオスの著作と矛盾していた。その代表例が、「天体運行表」と観測結果のズレである。
ここで意味する「天体運行表」とは、天体の運動を天体の理論(すなわち「数学集成(アルマゲスト)」)から算出したもの(厳密には計算方法の文書)で、当時の重要な学問である「占星学」には必須の存在だった。当時の西欧社会で広く使用されていたのは、「アルフォンソ天文表(アルフォンソ表)」と呼ばれる天体運行表だ。13世紀にスペインのカスティーリャ王国を統治したアルフォンソ10世が作らせたことが名称の由来である。11世紀にスペインのトレドで天文学者アッ=ザルカーリーが作成した天体運行表「トレド表」を新しく編さんしたのがアルフォンソ表で、原典のスペイン語からラテン語に翻訳されたことで、西欧社会に広まった。(参考:高橋憲一訳・解説、『コペルニクス・天球回転論』、158ページ、みすず書房、1993年刊行)
この「アルフォンソ表」によって計算すると、夏至点における太陽の黄道面(天球を太陽が移動する軌道、すなわち黄道が描く面)と赤道面の成す角度は22度47分になる。ところがレギオモンタヌスと師匠のポイルバッハが観測した値は23度28分であり、角度にして41分ものズレがあった。またイタリアの天文学者による観測でも、23度30分という、当時の測定精度ではレギオモンタヌスらと等しいといえる値を得ていた。しかし41分あるいは43分という違いは、レギオモンタヌスにとっては「許容し難い誤差」だった。(参考、山本、『世界の見方の転換』、第1巻、211ページ)
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