検索
連載

誰も知らない「生産性向上」の正体 〜“人間抜き”でも経済は成長?世界を「数字」で回してみよう(44) 働き方改革(3)(9/10 ページ)

「働き方改革」に関連する言葉で、最もよく聞かれる、もしくは最も声高に叫ばれているものが「生産性の向上」ではないでしょうか。他国と比較し、「生産性」の低さを嘆かれる日本――。ですが、本当のところ、「生産性」とは一体何なのでしょうか。

Share
Tweet
LINE
Hatena

戦りつを覚えたパラダイム

 次女の案出したパラダイムによれば、確かに、上記の「工夫」「人口」「生産性」は、相互に連携し合いながら、成長率を確保し続けることが可能となります。

 しかし、「人間が幸せに生きるために成長率を維持する」のではなく、「成長率を維持するために、人間が人間を生産し続けることが必要となる」いう、ものすごい主客転換が図られていることに ―― わが娘ながら戦慄(りつ)を覚えずにはいられませんでした。

江端:「でも、そのロジックでいけば、私たちの全ては、イノベーションを発生させる装置としての人間を作る教育のみが必要となり、それ以外の一切の教育は必要となくなる、ということになるんだが、その理解でいいのか?」

次女:「ああ、それはね、こう考えればいと思うよ」

と言うと、次女は持論を展開してくれました。

 見事にロジックが閉じている ――。

 つまり、私たちは、「私たち自身」と「AI」の2つを、経済成長率の構成要素として組み込むことで、35年間で2倍豊かになる社会への道筋が、―― もちろん、山のような課題や仮説や願望が含まれているとはいえ ―― 一通り見通せる、という結論に至ることになるのです。

 それでは、今回のコラムの内容をまとめてみたいと思います。

【1】政府主導の「働き方改革」の重要項目の1つである「生産性向上」について考えてみました。

【2】しかし、政府の資料に記載されている「生産性」の内容は、全く理解できなかったので、今回、「生産性」なるものの、歴史や定義、現時点での使われ方までさかのぼって調べることにしました。

【3】その結果、生産性の起源は、人類最初の「道具」の製造の「分業」にさかのぼることおよび、生産性が「たくさん働くこと」→「効率よく働くこと」→「イノベーションによって、劇的に向上すること」など、新しい考え方の導入や、技術革新による影響があることが分かりました。

【4】「生産性」には各種の種類があり、それらを適用すると相反する結果が出てきてしまうことから、現在、「生産性」は、そのプロセスの解明は無視して、生産前と生産後の数値だけを使って、「生産性」を算出していることを知りました。

【5】しかしながら、私たちの社会にとっては「生産性」はそれほど重要ではなく、「生産性」は、「経済成長率」を支える1つの要素にすぎないことを明らかにしました。

【6】そして、経済を成長させなければならない理由とは、「(1)マイナス成長よりはマシ」「(2)成長率をゼロに制御することは逆に難しい」「(3)『今日より豊かな明日(プラス成長)』を否定する理由がない」という消極的理由にある、という江端仮説を示しました。

【7】カツ丼を使って、国民総生産(GDP)の概念の説明を試みて、2つの経済成長を算出する著名な公式から、成長率 = (工夫)'+(人口)'+(生産性)'('は変化量を示す)という簡単なモデル化を試みました。

 そして、(1)少なくとも現在から未来にかけて(人口)'については、成長率を妨げる要因となっていること、そして(2)(生産性)'については算出が困難な上に論理的な上限があること、(3)(工夫)'については、いつ、どこで、登場するかが予測できない不確定な要素であることを示しました。

【8】「35年で2倍豊かになる社会 = 平均2%の経済成長率」を指標として、シミュレーションを行い、この実現が相当に難しいことを数値で明らかにしました。

【9】AI(人工知能)を加えた社会においては、理屈の上では「人間抜きでの経済成長が成りたつ」ことが成立することになるという事実にぼうぜんとしていたとろ、江端家の次女から「人間は、(工夫)'を生み出す装置として機能する」という、驚がくのパラダイムを教示されました。

 「人間が幸せになるための経済成長率」ではなく「経済成長率を支える装置としての人間」という、すごい主客転換のパラダイムに ―― わが娘ながら戦りつを覚えずにはいられませんでした。


以上です。

 今回のコラムで、私は「生産性」なるものの正体を(私を含めて)誰も理解しないまま、「生産性」という言葉を平気で使っている、ということが分かりました。

 政府も企業も、そして「生産性向上ツール」なるものを販売しているベンチャーも、みんな勝手に「生産性」を解釈して、バラバラの方向に暴走しているんだなー、ということを、しみじみと実感しています。

 そして、―― それは仕方がないことであると分かってはいるのですが ―― 政府主導の働き方改革の「生産性向上」については、当面、そのように運用していくしかないのだろう、と、漠然と考えています。


 ここで冒頭の「上司に殺意を覚える」の話に戻ります。

 今回のコラムの執筆で、「生産性とは、特許明細書の出願数を1→3にすることではない」、ということは分かりました。

 そして、私の上司たちは、江端の(工夫)'を向上させ、イノベーションを創生する能力を向上させるために、30回もの報告書の再提出をさせていたのだ ―― と心を入れ替えて、今や、江端はかつての上司に感謝し始めている

―― などと、決して思うんじゃねーぞ

 報告書を30回も再提出させる上司は、指導能力を欠いており、その上、部下の労働時間を不要に奪い、会社に膨大な不利益を与えている、と、私は確信しています。

 「"働き方改革"の生産性」の内容は、相変わらず不明のままですが、少なくとも「"江端"の生産性」の構成要素には「スループットの速さ」や「ストレスレス」が含まれていることは、間違いありません。

 ですから、これまで、私に、原稿を何度も書き直しさせたり、「もっと文章を短くしてくれ」と、私にストレスをかける出版会社とは、うまくやっていくことはできませんでした。

 そこへ来ると、EE Times Japanは素晴らしい会社です。そして、担当のMさんは江端の生産性を向上するツボを理解している、大変、有能な編集者です。

 ―― とはいえ、多分、毎回提出されてくる、私の膨大なページ数の原稿*)に、頭を抱えているだろうことは、間違いないだろうなーとは思っていますが。

*)「そうですね、毎回すさまじい量ではあります。すごいですよ、江端さんのワード原稿を開くと、右端のスクロールのノブがぎゅいーーーー……んと縮んでいくんです。最近は、それを見守るのが、快感ですらあります」(編集担当M談)

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る