未来を占う人工知能 〜人類が生み出した至宝の測定ツール:Over the AI ―― AIの向こう側に(19)(10/11 ページ)
今回は、統計処理技術についてお話します。え? 統計? それってAIなの?――そう思われた読者の方、確かにAI技術とは言えません。ですが、統計処理技術はAIの根底を成すものであり、これを知らないままでは、「英単語を知らずに英語を話そうとする」ようなものなのです。
夏休みの宿題、いつ片付ける?
それでは最後に、行動経済学の考え方を利用した、簡単なシミュレーションをご覧いただきます。
私は子どものころ、夏休みの宿題は「最初の数日で片付ける派」でしたが、嫁さんは、最後の数日で「両親まで使い倒して修羅場を凌いだ」、と言います*)。
*)いまだに嫁さんは、「夏休みの宿題とは、家族全員の宿題のことである」と主張しています(私は同意していません)。
私は、締切に追い詰められるのが極度に嫌いなチキン野郎ですので、なんであれ、早めに手を打ちたいと考える人間なのですが、嫁さん、長女、次女の3人は、「ドタンバで、自分も想像しないようなパワーが発揮できる」→「だから時間効率がいい」と言います。
実は、嫁さんの主張も、私の主張も、どちらも理にかなっているのです。
まず、(1)は嫁さんの行動原理を示しています。(1-A)に示すように、3日前においては、気の重さと深刻度を乗算したコストは、2日前の0.75が一番安いことになりますので、嫁さんの最適戦略は、「次の日(2日前)に宿題をやる」になります。
しかし、実際に2日前になると、時間選好関数がシフトして、その結果、1日前の1.25の方が、今日やる1.5より安くなっています。従って、嫁さんの最適戦略は「次の日(1日前)に宿題をやる」、に変更されます。
そして1日前になると、もう嫁さんにはチョイスできる選択肢がなくなりますので、これまで見たこととのない、最悪のコスト2.5で宿題を始めることになるのです。
一方、私は、図の(2)のように、3日前から、嫁さんのコスト変動を全部計算し尽していますので、(1, 1.5, 2,5)の中で、最もコストの安い3日前(コスト1.0)に宿題をやっつけてしまうことになります。
このように、実は、嫁さんの行動も、私の行動も、両方とも合理的であることには違いがないのです。
問題は、伝統的な経済学では、常に私のように(上記(2))、未来を全て見通して、リスクを計算した上で振る舞う超合理的な人間しか想定していない、ということなのです。
嫁さんや長女や次女のような存在は、伝統的な経済学では、ノイズとして弾かれることになるのですが ―― 私は、彼女たちのような行動をする非合理的な人間の方が、圧倒的多数なのではないか、と思うのです。
今後、AI技術は、単なる製造システムや運行システムではなく、もっと大きな社会全体の課題を解決するものになっていくことが期待されています(ここまでAIで騒いだ以上、その程度のことまでは、きっちりやってもらうぞ)。
そのような社会課題を解決するにおいて、人間の振る舞いや心理を正しく模擬する技術は、非常に重要になっていくと思います。
統計処理技術や行動経済学は、そのようなAI技術の開発に、今後ますます必要になっていくでしょう。
それでは、今回のコラムの内容をまとめてみたいと思います。
【1】今回の前半は、「『偏差値教育批判』の疑問」を切り口として、AI技術ではないものの、AI技術の超基本技術である「統計解析」手法の中でも、特に「標準偏差」「正規分布」「回帰分析」そして「無作為抽出」について説明しました。
【2】また後半では、伝統的な経済学で想定されている「人間モデル」に対する違和観を切り口として「行動経済学」の簡単な紹介と、その理論を使った簡易シミュレーションを行いました。
【3】統計処理とは、単に母集団の性質を明らかにする手続だけではなく、この世界で最も信用できる「占い」 ―― 高精度な未来予測を可能とする、ここ20〜30年ほどの間に生み出されたAI技術など足元にも及ばないほどの、最強メソッドあることを示しました。
【4】標準偏差とは、人類が生み出した至宝の測定装置であり、地球上にこの装置を使わないモノなど存在しないこと、そして、標準偏差をベースとする確率密度関数「正規分布」が、この世界を支配する法則であることを、具体的な事例で示しました。
【5】さらに、標準偏差と正規分布をベースに編み出された「偏差値」なるものが、どんなテストであれ、その固有の性質(難しさやバラツキ)をノーマライズ(正規化)し、一貫した数字として評価させることを示しました。またその正規化された偏差値によって、受験生たちと大学入試との妥当なマッチングを実現し、受験生にとっても大学にとってもWin-Winな関係を成立させていることを示しました。
【6】また、回帰分析という線形式を使った簡単な手法が、今なおマーケティングやサービスの主流として活用されているという事実を示し、また、仮に、データが全くない状態であっても、無作為抽出手法を使った「仮説検証」「仮説検定」などを使って、各種のサービスや製品の評価が行えることを紹介しました。
【7】伝統的な経済学で想定する人間モデルと、江端が作るシミュレーションの人間モデルの違和感を説明し得るものとして、「そもそも人間とは非合理な行動をするものである」という考え方をベースとする行動経済学の考え方が援用できると考え、行動経済学の12の実施例(アプリケーション)を紹介しました。
【8】最後に、「夏休みの宿題問題」いう事例を用いて、行動経済学の実際の使い方を示し、「人間というのは合理的に非合理な行動をするものである」という実例を示しました。
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