プロセッサ市場の下剋上なるか? Intelを追うAMDを躍進させた2人の立役者:湯之上隆のナノフォーカス(25)(2/4 ページ)
プロセッサ市場では、ある異変が起きている。Intelが長年トップに君臨しているこの市場で、AMDがシェアを急速に拡大しているのだ。今回は、AMDの躍進の背景にいる2人の立役者に焦点を当てよう。
天才設計者のジム・ケラー(Jim Keller)
筆者は、日立やエルピーダなどで16年ほど半導体プロセス技術の開発に従事したが、設計に関わったことは一度もない。従って、優れた設計者がどのような人かは良く分からない。
しかし分からないなりに、ジム・ケラーを調べてみると、多くの人々が“天才設計者”と呼んでおり、さらに「AMDでIntelを2度倒した」と書いてある記事もある(Gigazine[外部サイトに移動します])。
ウィキペディアによれば、ジム・ケラーは1998年に、DEC(Digital Engineering Corporation)からAMDへ移籍し、「Athlon(K7)」や「Athlon 64(K8)」などを開発する。どうやら、これらが最初にIntelを追い詰めたプロセッサのようだ。
ところがジム・ケラーはたった1年でAMDからSiByteに移籍し、さらに2004年にはP.A.Semiへ転じる。そのP.A.Semiは、故スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)率いるAppleに買収され、ジム・ケラーは初代「iPhone」用アプリケーションプロセッサ(AP)の「A4」および第2代APの「A5」を開発する。
現在世界には約10億人のiPhoneユーザーがいるといわれているが、その心臓部であるAPの“1丁目1番地”を開発したのは、ジム・ケラーということになる。
その後、ジム・ケラーは2012年に、2年後にCEOとなるリサ・スー(Lisa Su)にAMDに呼び戻され、現在Intelを脅かしているPC用プロセッサ「Ryzen」やサーバ用プロセッサ「EPYC」のアーキテクチャ“Zen”を開発する。
ところが、ジム・ケラーは、自身が基本設計を行ったプロセッサがどうなるかを見届けることなく、2016年にはイーロン・マスク(Elon Musk)率いるTeslaに移籍してしまう。Teslaは2017年、オートパイロット用のAI半導体を独自開発することを明らかにした。そして、そのチップ開発に、ジム・ケラーが関わっているのである(WIRED[外部サイトに移動します])。
こうしてジム・ケラーの経歴をたどってみると、設計の何たるかが分からない筆者にも、“天才設計者”と呼ぶにふさわしいことが実感できる。そして、リサ・スーに引っ張られてAMDに復帰した時のコメントが、ジム・ケラーの人物像を物語っているように思う。
「プロセッサ設計と、複雑なシステムの設計が好きで、AMDが次世代で大きなこと(big swing)をしようとしていたから」「大きなチームを率いて、何か新しいことをやるのは、自分にとって挑戦だ」(PC Watch[外部サイトに移動します])。
AMDの窮地を救ったリサ・スー(Lisa Su)
本田技研工業を設立した本田宗一郎の傍らには、藤沢武夫という名番頭がいた。藤沢武夫が副社長として財務を中心にホンダを切り盛りしたから、本田宗一郎はクルマ作りに没頭できたのである。
これと同じように、AMDには天才設計者ジム・ケリーがいた(と言ってもすぐにいなくなった)が、そのジム・ケラーが蒔いた種を大きく育て、ビジネスとして開花させているのが、リサ・スー(Lisa Su)という女性CEOである。
リサ・スーは、MITでPh.Dを所得した後、1994〜1995年はTexas Instrumentsで半導体デバイスおよびプロセスを研究開発し、その後、IBMに転籍する。IBMでは、Cu配線を用いた半導体プロセスに関わり、IBMの半導体研究開発センターの副社長などを務めた(ちなみに、IBMは1997年に世界で初めてCu配線を用いたスパコン用チップをリリースし、”IBMショック”として世界に衝撃を与えた。この後、世界中の半導体メーカーがCu配線の技術開発競争に突入していった)。
リサ・スーは2007年にIBMからFreescale Semiconductorに移籍し、CTOとしてR&Dを率いた後、2012年にAMDへ上級副社長兼ゼネラルマネジャーとして転籍する。その当時、AMDは、GLOBALFOUNDRIES(GF)を切り出して、ファブレスとなっていたものの、10億米ドルを超える赤字を計上し、瀕死の状態だった(図2)。
リサ・スーは、IBM時代に、ソニーのゲーム機PS3用のスーパープロセッサ“Cell”の開発に関わっていたことから、ゲーム機業界に太いパイプを持っていた。それを利用して、ソニーのPS4やマイクロソフトのXboxに、CPUとGPUを融合させたAPU(Accelerated Processing Unit)を売り込み、AMDの窮地を救った。
CEOとなったリサ・スーの経営手腕
リサ・スーは、2014年10月にAMDのCEOに就任するが、それと同時期に、AMDが生産委託していたGFが、IBMの半導体部門を取得する(買収ではない)。ここに、IBM出身のリサ・スーが絡んでいたことは間違いないだろう。そして、この取得はかなり異例の取引である。
というのは、IBMはGFに、技術者約5000人と特許数千件を付けて半導体工場を引き取ってもらうとともに、“IBMがGFに”15億米ドルを払うという契約になっていたからだ。もしかしたら、IBMにとって半導体工場がお荷物になっていたのかもしれないが、それにしてもこれは破格の条件であり、それをリサ・スーがお膳立てしたとすれば、驚くほかはない。
さらにリサ・スーは、AMDを退職した技術者を次々と引き戻す「カムバックプラン」を実施している。2012年にジム・ケラーがAMDに復帰したのも、このプランによるものであろう。これによってAMDの開発力は確実にパワーアップした。リサ・スー本人が一流の技術者であるため、技術開発のマネジメントが卓越しているものと考えられる。
あらためて、AMDの業績を示した図2を見てみよう。リサ・スーがCEOに就任した直後の2015年と2016年は赤字を計上した。しかし、2017年以降に黒字化に成功し、その後は、売上高、営業利益、営業利益率、全てを上昇させている。
そして、2018年第3四半期以降に、TSMCに最先端プロセスでプロセッサの生産委託を行うとともに、図1に示した通り、2020年第1四半期にプロセッサシェアを33.2%まで拡大させた。
ちなみに、リサ・スーは、NVIDIAのジェンスン・フアン(Jen-Hsun Huang)CEOと親戚であるという。半導体の“サラブレット”の血筋というものがあるのかもしれない。
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