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1万人を個別に動かす地獄のシミュレーション「MAS」リタイア直前エンジニアの社会人大学漂流記(1-2)(1/3 ページ)

序章となる前編では、私が定年退職を目前にして、大学院博士課程に突っ込んでいった話をしました。私をそこまで駆り立てた「マルチエージェントシミュレーション(MAS)」とは何なのでしょうか。

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3年間の休載を経て戻ってきました。休載していた理由は、私はリタイア(定年退職)間際だったにもかかわらず、「MAS(マルチエージェントシミュレーション)」を研究すべく、社会人のまま大学院博士課程に突っ込んでいったからです。なぜ“そんなこと”になったのか――。そして私をそこまでさせた「MAS」とは何なのか。社会人大学院生の実態を赤裸々に語りつつ、MASを技術的に深掘りしていきます。
⇒連載バックナンバーはこちらから

⇒なぜ「MAS」を研究するに至ったか? 前編はこちらから

「MAS」とは何か

 さて、ここからは技術パートです。先ほどから私が繰り返している「マルチエージェントシミュレーション(MAS)」とは、一体何でしょうか。

 これは、ざっくり言えば、以下の図に示した内容です(江端の最終審査・公聴会資料からの抜粋)

MASとは何か

 この図をさらにざっくり言うと――

■“街を丸ごと動かすRPG(ロールプレイングゲーム)”

 「人間の動きや行動パターンを、まるごと再現できたら?」――そんな無茶な夢を本気で実現しようとして生まれたのが、マルチエージェントシミュレーション(MAS)です。

■ひとりが自分勝手な“キャラ”として生きている

 MASの世界では、人間もクルマも、みんな“自我持ちキャラ”。「遅刻しそう」「渋滞を避けたい」「ちょっと寄り道したい」――そんな気まぐれをプログラム化して、てんでバラバラに動き回る“エージェント”たちが、仮想都市の中で勝手に生きています。

■現実ではできない社会実験もできる

 「全員がクルマ通勤をやめたら?」「バス路線を半分にしたら?」「このビルを壊して道路にしたら?」――現実でやったら怒られる実験も、MASなら仮想空間でやり放題。都市計画のシミュレーションから感染拡大の再現まで、“現実を壊さずに、現実を変えてみる”ことができる実験場です。

■たくさんの個(エージェント)が、ひとつの街(フィールド)をつくる

 一人一人は小さなドットやアイコンでも、それが何千・何万と集まると、街が呼吸し、社会がうねり始める。まさに、“神の視点”から見た社会そのものです。

 この説明でもピンと来ない場合は、世代別にこう言い換えます。私と同世代の方には、「MASとは“シムシティ”です」。もう少し若い方には、「“どうぶつの森”です」。そして、説明が面倒になったら――「“VRゲーム”です」で、話を打ち切ります。

1万人を「個別」に動かす

 「このMASとやら、とっても役に立ちそうなのに、一度も聞いたことがないぞ」という方もいると思います。私、この歳になるまで、社内はもちろん、大学や学会にも参加してきましたが、MASを使った発表というのは、それほど多くありませんでした。

 なぜか?

 ――MASって、恐ろしく面倒くさいんですよ。

 なにが面倒って、「人を一人一人、ちゃんと“人”として扱う」からなんです。

 エクセルなどを使う数値シミュレーションなら、「人口1万人」とか「交通量×2倍」で済むところを、MASは「1万人の性格・行動パターン・移動目的を全部、個別に設定」しなきゃいけない。

 しかも、その全員が勝手に動く。バスが遅れたら怒る人もいれば、コンビニに寄って遅刻する人もいる。その“ちょっとした人間味”を再現するために、地図も、交通も、時間も、ぜんぶ連動させてやらないと、街がちゃんと動かない。存在しない道路は歩けないし、来ない電車には乗れない ―― 当たり前の話です。

 でも、この「当たり前」をプログラミングするのが、『死ぬほど面倒くさい』

 私、3年間の研究で、最も時間を使ったのが、バスの運行の実装でした。たった1.5km四方の空間で、バスを定刻通りに走らせるだけのことに、3カ月以上を費やしました。ここに、膨大な人間(エージェント)の気まぐれを、一人一人に実装する(私の場合、1万8000人)となれば――そりゃもう、結構な地獄ですよ。

 正直、私の3年間の研究期間のほとんどが、このMASの構築に費やされたと言っても過言ではありません。

 しかも大抵の場合、MASは思ったようには動いてくれません。

 ――バスに乗る人が少なすぎる。「1日30人」って、なにこれ?
 ―― なんで、住民数以上の人間が歩いているんだぁーーー!

 そんな悲鳴をあげた回数は、数知れません。

 1万8000人の30日分のシミュレーションにかかる時間は、ざっくり12時間。その間は祈るような気持ちで結果を待ち、そして結果に絶望する。

 ――私の博士課程の日々は、まさにこの繰り返しでした。

 そんな日々を経て、私は悟りました。MASをスクラッチから自作しようとするから、こんな目に遭うんだ、と。誰かが作ってくれたものを使えば、もっとラクができたはずだ、と(で、“これ”もまた、部分的には“不正解”なんですけどね。その理由は、連載の中でゆっくりお話ししていきます)

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