入学した瞬間終わったわ――「講義が英語」なんて一言も聞いてない!:リタイア直前エンジニアの社会人大学漂流記(4-1)(3/4 ページ)
さて、いよいよ入学式を迎え、本格的に社会人大学院生の生活が始まりました。しかし入学式当日から波乱の予感が満載です。仕事との両立に頭を悩ませ、研究室からは何の連絡もない。そんな私にさらに追い打ちをかけたのが、講義が全て英語で行われるという事実でした。私は「英語に愛されないエンジニア」という、偉大な代名詞を持っているというのに……!
仕事と学業、両立なんてできるのか
入学要項(文字が小さい)を読み込んだ私は、博士論文を執筆する他に、20の単位を取得しなければならなかったのです。これからは学生ですから、講義を受講するのは当然としても、これを知ったときに「会社の方のスケジュールとどう両立させていけばいいのか?」と、かなり真剣に悩みました。
そこで私は、会社のスケジュール登録システムで、2年後までのスケジュールの予約を「この週のこの時間には絶対に、予定は入れないで」という意思表明を行いました――こういうこと(社会人大学院での学位取得)が制度として推奨されている、または、認められている会社でなければ、こんな宣言、とてもできないよなぁと実感していました。
講義内容が「英語だけ」なんて聞いてない!
講義の全部が、”英語”だけで行われるなんて聞いていない!
これを知ったときは、本気で腰が抜けるかと思いました。事前調査が甘かった、と言われればそれまでですが、現実は容赦がありません。講義も、テキストも、教本も、レポートも、配布資料も――何から何まで、全部英語です。
これではまるで外国の大学ではないか――そう思った瞬間、私はハタと気が付きました。
先に述べた、「ここに集まった入学生は、出身国に関係なく、英語を当たり前に使える学生“だけ”だった」という事実。あれは、ここに“オチ”るのです。
「大学院の博士課程で履修するのであれば、英語が使えて当然である」――私から見れば非常識に近い前提ではありましたが、秋入学の海外留学生たちにとっては、これは不可欠な前提だったのです。私は、そのことに、その時、初めて気が付きました。
ご存じの方もおられるかもしれませんが、私はEE Times Japanの「「英語に愛されないエンジニア」のための新行動論」という連載で物書きとしてデビューしました。この連載は、『英語に愛されない者は、何をしても愛されない』という、ある意味、身も蓋もないコンセプトで貫かれています。
この事実――全講義が“英語”だけで行われる――を知ったとき、私は初めて「退学」という選択肢を本気で考えました。
いったい、この世界は、いつ「博士号を取得しようとしている者が、英語が使えない? 甘えてんじゃねーよ」というディストピア世界線に移ってしまったのでしょうか。私が大学院(修士課程)を修了してからの30年の間に、いったい何が起きていたのか――その落差に、ただ呆然とするしかありませんでした(事実、私は京都での在学中に、研究で英語を使ったことはありませんでした)。
しかし、私は既に入学してしまっていたのです。膨大な時間を費して入学の準備をし、家族を説得して入学金を支払い、会社の上司に紹介状を書いてもらい、助成金の手続きまで完了していました。
ここで「私、『英語に愛されないエンジニア』なので辞めます」などと、とても言い出せる状況ではありませんでした。
この絶望的な状況の中で、講義を担当される先生方が全員日本人(田中先生をはじめとするゼミ担当の先生方)であったことに、私は唯一の希望を見いだし、そして腹をくくったのです――『講義が終わった後に日本語で質問させてもらおう』という、いささか姑息な目論見だけを頼りに。
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