日本のエレクトロニクス産業、焼け野原から再出発しよう!:EETweets 岡村淳一のハイテクベンチャー七転八起 ―番外編―(4/4 ページ)
ここ数年で、エンジニアを取り巻く「パラダイム」は完全に変わりました。終身雇用という立場に安穏とすることができない時代に突入したことを、誰もが素直に受け入れなければなりません。多くのエンジニアは、もう気付いているはずです。エンジニアが全世界的な基準でしか評価されない時代に突入していることを……。
「行動すること!」
小生が、大手電機メーカーの研究所に入所してからハイテクベンチャーを起業するまでのドタバタとしたキャリアをたどることになった理由は、「行動すること」を重視したからだと自己分析しています。行動することが、新たな目標を生み、新たなチャレンジを得るキッカケになりました。
そして行動した結果、能力は自然に磨かれ、自身の市場価値を高めてくれることになったのです。もちろん、行動には準備が必要ですが、ちゅうちょしない勇気を持つことが最も重要でしょう。そして最大のリスクが「行動しないこと」であるのは、企業の経営も個人のキャリアも同じですよね。
「行動するなんて自分にはできないよ」と言うかもしれませんが、大丈夫。われわれは、太平洋戦争で焼け野原となったこの国から、世界に誇れる素晴らしい製品をいくつも生み出した先人のDNAを引き継いでいます。パナソニックやソニーの歴史をひもとくまでもなく、イノベーションのある新製品で世界をアッと言わせてきた歴史があります。先人たちにイノベーションが創れて、われわれに創れないはずはありませんよね。もう一度、焼け野原から立ち上がったあの時代に、気持ちだけでも戻りましょうよ!!
ご参考までに、世界基準という観点で小生が日頃意識している、エンジニアが持つべき目標管理を以下にまとめてみました。
- 行動する。さまざまな業種の人とコミュニケーションを取る
- 自らリスクを取る
- 社外の人脈を広げる
- 環境に関わらず、仕事をこなせる
- 世界に通用するコア技術を身に付ける
- 自ら知識を集め、スキルを磨く
- 身体と精神を自己管理できる
- 周囲のエンジニアに対し、上下ではなく対等だという意識を持つ
Profile
岡村淳一(おかむら じゅんいち)
1986年に大手電機メーカーに入社し、半導体研究所に配属。CMOS・DRAMが 黎明(れいめい)期のデバイス開発に携わる。1996年よりDDR DRAM の開発チーム責任者として米国IBM(バーリントン)に駐在。駐在中は、「IBMで短パンとサンダルで仕事をする初めての日本人」という名誉もいただいた。1999年に帰国し、DRAM 混載開発チームの所属となるが、縁あってスタートアップ期のザインエレクトロニクスに転職。高速シリアルインタフェース関連の開発とファブレス半導体企業の立ち上げを経験する。1999年にシニアエンジニア、2002年に第一ビジネスユニット長の役職に就く。
2006年に、エンジニア仲間3人で、Trigence Semiconductorを設立。2007年にザインエレクトロニクスを退社した。現在、Trigence Semiconductorの専従役員兼、庶務、会計、開発担当、広報営業として活動中。2011年にはシリコンバレーに子会社であるDnoteを設立した。
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