検索
ニュース

若い時の経験にロスタイムはないいまどきエンジニアの育て方(18)(3/4 ページ)

出向や異動などで、開発や設計から一時的に離れることになっても、その経験は決して無駄にはなりません。若い時の経験に「ロスタイム」はないのです。“遠回りしてもいい”のだと若手エンジニアに教えることも、上司の役目ではないでしょうか。

PC用表示 関連情報
Share
Tweet
LINE
Hatena

わずか2年目で競合の中に放り込まれた筆者

 ここからは筆者自身の経験になります。筆者は機器メーカー入社2年目の夏に出向を命じられました。

 出向先は会社という名目にはなっていましたが、半官半民の半導体の中央研究所でした。現在のように各家庭に光ファイバが敷設されることは夢の世界で、インターネットという言葉すら一般にはなじみのなかった時代です。来るべき光通信の時代を見越して、そのキーデバイスとなる発光素子(LD:Laser Diode)と受光素子(PD:Photo Diode)の研究がテーマでした。研究期間は6年間のプロジェクト制で、通商産業省(現 経済産業省)に属する機関が主に出資し、あとは複数の民間企業が少しずつ出資して作られた研究所ですが、今は解散して存在しません。

 当時、新入社員研修は3カ月あり、1年目の7月1日付で各職場に配属となったので、実質的に、筆者が職場で開発の仕事をした期間は1年間です。


写真はイメージです

 筆者は、電子計測器のハードウェアを主に設計していましたが、出向先における仕事は半導体の基礎研究でした。半導体の結晶成長の材料となるウエハー上に、結晶を成長させて、リソグラフィなどの微細加工技術でパターンを形成し、最終的に評価まで行うというものです。書いてしまえば簡単ですが、全てクリーンルーム内の仕事で、給食当番みたいな白い服(クリーンスーツ)を着て、入退室時にはエアシャワーをくぐらなくてはなりません。

 出向先には、先ほど書いたように、民間企業、それも競合企業ばかりから研究員が来ていました。研究所の設立当時は、筆者が新卒で入社したアンリツ以外に、横河電機、安藤電気(後に横河電機に吸収)、アドバンテスト、岩崎通信機の5社の計測器メーカーが参画し、その後、HP(現 アジレント・テクノロジー)からも研究員が来ました。

 このようにライバル会社の研究者がいる中で、入社2年目の筆者は、年齢的にも一番下っ端でした。おまけに、他社からの研究者は、もともと物理を専攻して半導体の研究者になった人が多く、学歴も修士号は当たり前、博士号を取得していた人もいました。80年代後半の、まだ今のように大学院への進学率がさほど高くなかった時代の話です。

 そんな研究所だということをこれっぽっちも知らず、筆者は、出向の辞令が出た時に当時の開発部長に食ってかかりました。「なぜ、自分なのですか? 僕は電気の設計がしたくて会社に入った。物理や半導体がやりたいわけではない!」と。筆者としては、設計の面白さが分かってきて、ハード設計が楽しくて仕方ない時期でしたので、なおさら出向に対して納得できなかったのです。

 部長の返答は、「出向できるのは3名だけで、誰もが行けるところではない。また、電子計測器でも、光通信用の電子計測器の開発者は光デバイスの特性を知らなければならない」。まぁ、このように言われたことをよく覚えています。

 とにもかくにも、ぶつくさ言いながら、競合会社の、それも物理出身の修士・博士ばかりがいる研究所に、学部卒の若干24歳の筆者が、配属後1年でほっぽり出されたわけです。半導体装置のことは何も知らない、耳に入る言葉も、「Xnm(ナノメーター)の量子井戸構造で、YÅ(オングストローム)レベルで制御をする」といったものばかり。……ん、ちんぷんかんぷんだ……が、最初の1カ月でした。「A(アンペア)なら分かるが、Åなんて受験の時以来だぞ」……。

 さらに、自社のOJTならまだしも、他社の新人、まして競合会社の新人のOJTなど、やってくれるわけがありません。筆者の面倒を見てくれる人など誰もおらず、陰では「素人を送り込んできやがって」と思われていたことでしょう。実際、そうでしたから。それがとても悔しくて、結晶成長や半導体プロセスの本を買って、がむしゃらに読み、学会誌、論文なども辞書を引きながら読むことを半年間続けて、ようやく対等に話をしてもらえるようになりました。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る