TOEICを斬る(後編) 〜“TOPIC”のススメ〜:「英語に愛されないエンジニア」のための新行動論 ―番外編―(1/3 ページ)
今回、「TOEIC」の代替案として提唱するのが「TOPIC(Test of Playing for International Communication)」です。その名の通り、“演技をする(Play)”テストになります。つまり、自分が伝えたいことを、いかに正確にジェスチャで伝えられるかを客観的に評価するわけです。空港に行きたいとき、相手を責めるとき、トイレを我慢しているとき……。あなたはどのようなジェスチャで伝えますか?
われわれエンジニアは、エンジニアである以上、どのような形であれ、いずれ国外に追い出される……。いかに立ち向かうか?→「『英語に愛されないエンジニア』」のための新行動論」 連載一覧
今よりも英語の力が貧弱だった学生時代に、私は、中国、インド、ネパール、タイ、シンガポール、北米、カナダを一人で旅してきました。これらの旅の途中で必要なコミュニケーションは、おおむね達成できたと思っています。何度か命の危険にさらされながらも、日本に帰ってくることができたのですから。
一人旅を通じて分かったことは、「海外でコミュニケーションすること」と「英語を使うこと」は、同じではないということです。
こんにちは。江端智一です。
前回、TOEIC(Test Of English International Communication)をボロクソに非難しましたが、今回は、その代替テストの提案と、TOEICに関する考察をしてみたいと思います。
「英語」とは何なのか
まず、「英語」とは何か、について、あらためて考えてみたいと思います。
「英語」とは、英国で使われてきた言語です。いろいろな経緯があって、国際語として認定されている言語ではあるのですが、それは、英語を母国語とする人口が多いから――ではないようです。世界の人口70億人に対して、英語を母国語とする人口は3億〜4億人、たかだか5%弱、といったところです。
では、日本人を含む、残りの95%の人間にとって、「英語」とは何なのか。
私たち日本人の大半にとって、「英語」とは、携帯電話やスマートフォンと同じ、通信するための「道具」であるということです。ならば、「英語を学ぶ」とは、「英語という『道具』の使い方を学ぶ」ということであり、「スマートフォンの操作方法を学ぶ」ということと、基本的に同じと考えてもよいはずです。
ここで1つ、仮説を立てて考えてみましょう。
「スマートフォンの使い方を習得するのに10年間の学習が必須である」と言われたとしたら、あなたはどのように思いますか。
誰であれ、「それは、『スマートフォン』という道具が悪いよ」「そんなもの使うのやめなよ」と、言うのではないでしょうか。
同じことです。
学習に10年以上を費やし(私なんか、年齢から12年を引き算した人生の全期間を費やして)、なおかつ日本人の大部分が「使いこなせていない」と感じている道具――。それが英語なのです。
これは、私たちが悪いのでしょうか。
違うでしょう。どう考えたって、その「道具」、つまり「英語」そのものが、そもそも劣悪な不良品であると考えるのが自然です。それにもかかわらず、われわれエンジニアは、このような不完全な道具に一生悩まされ続ける運命にあるのです。
究極の国際コミュニケーション道具とは
そもそも“International Communication”とうたうのであれば、その名が示す通り、世界中どこに行っても意志疎通が可能となる「道具」であるべきだと思います。
その点、英語を含め、全ての言語には絶対的な弱点があります。それは、『言語を理解していなければ、絶対に使えない』という現実です。
私の考える国際コミュニケーションの道具というのは、以下の3つの要件を満足しなければならないと考えています。
(1)勉強を必要としないこと:ある国の教育水準や、個人の資質に依存するコミュニケーションでは意味がないのです
(2)直感的であること:プロトコル(規約)があるものは、コミュニケーションの道具が複雑になってしまうからです
(3)簡単であること:誰でも使えなければ意味がないからです
私は、この3つの要件を満たす可能性のあるテストとして、“TOPIC”を提唱します。
これは“Test of Playing International Communication”、「国際コミュニケーション『演劇』テスト」です。
私は、国外での一人旅で、弁当が欲しければ、弁当を食べているパントマイムを外国人の前で演じましたし、空港へ行くときは飛行機が飛んでいる様子を、両手を広げて走り回って表現したものです。お願いする時は手を合わせて懇願し、怒りを表わす時には「お前だ。お前が悪い」と、相手を指さすことに躊躇(ちゅうちょ)しませんでした。
このように、私の考える究極の国際コミュニケーションの道具とは「演技」なのです。
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