「数字」に落とせば見えてくる!? 時事問題をエンジニア的視点で読み解く:世界を「数字」で回してみよう(1)(2/4 ページ)
既婚と未婚はどちらがシアワセ? 領土問題の本質って? この世にごまんとあふれる、“分かるようで分からない問題”。そうした疑問も「数字」でみれば、問題の本質が分かるかもしれません。いったん数字に落とし込めば、エンジニアのフィールドに持ち込んで分析できます。気になる問題を数字で読み解く新連載、スタートします。
こんにちは。江端智一です。
「「英語に愛されないエンジニア」のための新行動論」に引き続き、この度、EE Times Japanさんから、再び連載のご依頼を頂くことになりました。
本論に入る前に、ちょっと内輪話などをご紹介したいと思います。
この連載の打ち合わせは、担当さんとのメールのやり取りから始まりました。私がメールで「それで、どのようなテーマの連載をご所望ですか?」とご連絡したところ、「何でもいいですよ。江端さんのお好きなように、自由に書いてください。こちらでは万全のバックアップを敷きます」という内容のメールを頂きました。
実は、こういう依頼が一番辛い。
もう、なんというか、砂漠の中に置き去りにされて「好きな方向に歩いて、勝手にオアシスを見つけろ」と言われているような切迫感があります。
それでも、なんとかテーマを捻り出して、今度は、赤坂にあるEE Times Japanのオフィスを(休日に)訪問して、副編集長さんと担当さんにプレゼンさせていただきました。
私が、持参したテーマは、3つ。(1)審査官から特許査定を奪取する方法、(2)ゼロ勉強時間によるTOEIC攻略、(3)ネット時代の「『新』見える化」でした。
副編集長:「江端さん。この『(2)ゼロ勉強時間によるTOEIC攻略』というのは?」
江端:「ええ。TOEICの勉強を1秒もしないまま、私がTOEICのスコアを上げることができるか、という実践型コラムです」
副編集長:「……」
江端:「目標のスコアに達成するまで、私はエンドレスに連載を続けることになります」
副編集長さんと、担当者さんと、江端の3人は、儀礼的にひとしきり笑った後、そのテーマをスルーして、自然に次のテーマへと移りました。
人類は「数字」が嫌い?
話題を戻します。
「日本人は『数学』が嫌い」という話はよく聞きますが、これは正しい内容ではないと思っています。現実には事態はもっと深刻で、「人類は『数字』が嫌い」だと思うのです。
これは、人類の進化のプロセスを考えてみれば自然な話です。例えば、1000人の単位で集団行動したり、マンモスを1万頭のオーダで数えたりする原始人はいなかったでしょう。真面目に「数字」を使うようになったのは、もっとも古い時代まで遡っても、たかだか数千年前くらいで、しかも、それは権力者の側近などエリート層だけだったと思います。
そして、「人類は『数字』が嫌い」という性質は、現在にまで至っていると考えています。
私の母の話です。
小学生3年生くらいだったと思います。私が国語で66点を取って帰って来た時、母親は凄まじい勢いで私を叱り、玄関の外に叩き出しました。
標準偏差はもちろん、平均点という観念すらなかった私の母親は、“テストというものは、大体80点位で、よく勉強すれば100点を取れるもの”という前提(というか思い込み)があったのだと思います。
ちなみに、66点はクラスの最高点でした。子供心に「無知は暴力だ」と思ったものです。
標準偏差といえば、今でも、偏差値による学力評価に対する批判がありますが、私は、偏差値とは、母集団の性質を反映した上で正しい相対評価値を示してくれる、人類が生み出した至宝の計算方式と信じています。
偏差値の持つ「冷酷なまでの公平性」は、「環境、個性、人柄、将来性を全部無視して、ただ『学力』だけを見る」という潔さがあります。例えば、誰かが私の「学力」を、「感性」だの、「人間性」だのというような定義不能な基準なんかで評価したら、私なら絶対に怒る。
例えば、私の低空飛行のTOEICスコアであっても、それが事実である以上、どうしようもないのです。TOEICは「デタラメな英語で、会話を強行する」という、私のまれな能力を評価する手段は持っていないのですから。
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