「環境問題」とは結局何なのか(前編)〜勝算不明の戦いに挑む意義〜:世界を「数字」で回してみよう(8)(2/3 ページ)
地球環境問題というのは、身近な問題のようでいて意外と当事者意識をイメージしにくいものです。それでも、環境問題は何十年も前から提起され、国レベル、世界レベルで規制や対応が検討されてきました。今回は、実際に数字を回す前に、プロローグとして“環境問題とは結局何なのか”、ということを筆者なりに考えてみたいと思います。
“だから、何なのか――”
こんにちは、江端智一です。
今回から新シリーズを開始します。このシリーズでは「環境問題」を数字で回してみようと思います。
私は、この「環境問題」というものに、今一つ、気持ちが乗ってこなくて、正直困っているのです。
例えば、環境庁の「地球温暖化パネル」によれば、地球の温暖化によって、
- 海面上昇
- 動植物の絶滅リスク増大
- マラリア感染エリアの増大
- 異常気象の増加
- 食料不足
- 熱帯低気圧の巨大化
が、発生するといわれています。
また、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)によれば、
- 気候変動についての温暖化については、疑う余地がなく
- 20世紀半ば以降の人間活動が、その原因である可能性が「極めて高く」
- 2100年には、最悪で平均気温が4.8度上昇し、水位は82cm上昇する
と、いわれています。
しかし、私は、その話を聞いても、
「だから、何なの?」
と思ってしまうのです。
私が、今回「環境問題」に関して持っている疑問は、大きく4つあります。
(1)環境の変化がなぜ問題となるのか
地球も生命体の一つと考えるのであれば、人間側からの干渉の有無に関わらず、その地球が変化していくことは、当然の変化のように思えます。
(2)そもそも、この環境問題は、人間がなんとかできる「対象」なのか
現在、CO2を削減し、ゴミの分別をするなどの対策が行われています。効率のよいエネルギーを再利用させる社会を実現するためには、とても意義があると思いますが、これを「環境問題」という観点から見たとき、的外れな「スイッチ」を押しているということはないかと、心配になることがあります。
(3)さらに、この問題、現在の人間の力で、なんとかできる「範囲」にあるものなのか
例えば「台風のルートを変更させる研究」や「地震を消滅させる研究」などは存在しません。意味がないからです。電卓を叩いてみたところ、台風や地震のエネルギーは、ざっと、広島に投下された原爆の約2万倍以上のエネルギーがあり、こんなものを人類はコンロールできません。
ですから、この環境問題も「そもそも最初から勝てない相手に勝負を仕掛けていないか」と思うことがあります。
(4)環境問題と闘う意義はあるのか
「エントロピーの増大で、宇宙はほっといてもいつかは死ぬ(熱量死)。だから、何もかも無駄だ」 ―― という、中二病的な考え方はしないつもりです。
それでも、例えば、私は、50年間を犠牲にして、自分の80年の寿命を800年にするための努力ならできますが、80年の人生を90年にするためだけなら、「面倒くさいなぁ」と思ってしまうのです。
そして、この私の疑問の根っこには、冒頭で嫁さんの示したテーゼ、「『全人類、窒息死』という程の緊急性はないよね」という思い込みや、この問題に対する「当事者意識の欠如」があるのだと思います。
下記の図は、私の中にある、この問題のイメージを、他の環境問題と比較して記載したものです。
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