京都議定書を「トイレ」と“あれ”で説明しよう:世界を「数字」で回してみよう(13) 環境問題(4/9 ページ)
今回は、いよいよ環境問題シリーズの最難関である「京都議定書」を、比喩を使って解説したいと思います。おそらく、こんな比喩を用いて京都議定書を説明した例は、かつてなかったのではないでしょうか。なお、お食事中の方は、本稿を読むのをお控えください。
「京都議定書」の不思議
さて、先ほど述べた通り、わが国は、「温暖化ガスの排出量が増えているのに、温暖化ガスの削減はできている」のです(誤植ではありませんよ)。しかも目標6%に対して8.4%の過達です。この(訳の分からない)成果を生み出した仕組みこそが、「京都メカニズム」です。
京都メカニズムには、「地球に優しくしましょう」などというふ抜けたスローガンは、ひと言も登場しません。
附属書Bに記載された数値ノルマを達成させるためであれば、京都議定書は、「金で解決する」のもいといませんでしたし、さらには、「金でも解決できない問題」にも対応可能な仕組みも取り入れました。それが、排出量取引(Emission Trading:ET)、共同実施(Joint Implementation:JI)、クリーン開発メカニズム(Clean Development Mechanism:CDM)の3つです。
その説明の前に、CO2について簡単に復習しておきましょう。
CO2とは、地球温暖化ガスの1つであり、そのほとんどは人間が作り出し、加えて、簡単には分解しない物質です。つまり、CO2とは、「半永久的に、そのままの状態で放置され続けるウンコ」のようなものです。
京都議定書の目的は、言うまでもなく「世界中のウンコの量を減らす」というパラダイムで表現できるのですが、私は、この京都メカニズムを理解する上で、「ウンコを収納する便槽(下図参照)を有するトイレを作ること」というパラダイムを追加してみました。
では、ここから「ウンコ」と「トイレ」で、京都メカニズムの説明を試みます。
京都議定書が掲げる数値目標とは、ウンコを収納する「トイレの便槽」 ―― いわゆる、昔の「くみ取り式便所」 ―― と考えます。
まず、第一約束期間で数値目標を持たされた国(日本など)は、「自分の国(日本)に、数値目標のサイズ(日本の場合は、1990年を基準にして94%)の便槽を持っている」と考えます。さらに、数値目標を持たされた国は、「トイレ以外でウンコすることを禁じられている」と考えてください。
一方、数値目標を持たされていない削減義務のない国は、「国内であれば、気の向いた時に、どこでどれだけウンコをしても許される」と考えます。
京都議定書(第一約束期間)で課せられた、わが国のトイレ(の便槽)のサイズは、相当に小さくされた(6%のダウンサイジング)上に、わが国は、もうこれ以上ウンコを我慢できる状態にはありませんでした。
一般的に、ウンコの量を減らすには、各国は食べる量(化石燃料など)を減らして、ウンコの量を減らさなければなりません。
しかし、食べる量が減れば、製品は作れなくなり、工場の稼働率は落ち、車や電車の走行距離も短くなり、十分な量の電気が作れなくなり、結果として、国の経済活動が停滞します。
これを解決するには、食べる量を減らしても、これまでと同じように動ける身体を作らなければなりません。
わが国は、かつてのオイルショックの時(1970年代)、劇的なウンコ削減と、それに伴うトイレ(の便槽)のダウンサイジングを実現しました(参考:「平成25年度エネルギーに関する年次報告」(エネルギー白書2014)第2部 第1章 国内エネルギー動向)。
オイルショック後、20年以上の歳月をかけて、実にトイレ(の便槽)のサイズを半分にするまでに至ったのです(51%)。これは、「キリストの復活」なんぞ比較にならない程の「奇跡」といってもよいでしょう。
しかし、京都議定書は、この日本の努力に対して「もう1回、ウンコを我慢して奇跡を起こしてくれ」と言い放ったようなものでしたので、当然、日本国内の反発はすさまじかったわけですが、その話はいずれまた。
いずれにしても、当時も現在も、日本はこれ以上のウンコを我慢することは難しい状態にあるのです。
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