日本半導体産業の立役者! 「電卓」の奥深い世界:3月20日は「電卓の日」(3/5 ページ)
“最も身近な精密機器”と言っても過言ではない電卓。あまり一般には知られていないが、電卓は、PCの誕生や日本の半導体産業の発展を語る上で欠かせない存在だ。3月20日の「電卓の日」に、奥深い電卓の世界をのぞいてみたい。
「答え一発」、電卓戦争を終わらせたパーソナル電卓
14-A型が発表されて数年後、世界初の電卓が登場する。これは演算素子に真空管を用いたものである。リレーの駆動速度は1/100秒。これに対して、真空管が駆動する速度は1/10万秒以下。真空管を採用した電卓の計算速度は、リレー計算機を大幅に上回ったのである。しかも、価格は同等レベルだった。
リレー計算機時代の終えんを悟ったカシオはその後、真空管ではなくトランジスタを用いた電卓「001型」を開発、1965年に発売した。001型は、電卓としては初めてメモリを搭載したものになるという。
ここから、電卓は小型化と低消費電力化の点で、驚異的な進化を遂げていく。カシオの電卓を例にとって見てみると、まず001型は重さ17kgで、消費電力は40W。1983年に発売したカード型電卓「SL-800」は、重さがわずか12gで消費電力は0.02mW。1965年からの約20年で重量は1/1400、消費電力は1/200万にまで低減したのである。
1970年代、電卓業界は、40社ほどの電卓メーカーが乱立し、価格破壊が進む、いわゆる“電卓戦争”と呼ばれる時代に突入する。だが、この時代は意外と長くは続かない。電卓戦争を終結させたのは、1972年に発売されたカシオの小型電卓「カシオミニ」だった。
片手で持てるほどの小型化を実現したカシオミニは、「答え一発」というキャッチコピーが当時の流行語になるほど爆発的なヒットになった。1万2800円という価格は、当時の一般的な電卓の1/3の価格。これまでは、現在の大型コピー機/プリンタのように、部署に1台、フロアに1台程度しか置くことができなかった電卓が、1人1台持てるようになったのである。
これほどの小型化を、どのメーカーでもできるわけではない。カシオミニの登場によって、小型化ができなかったメーカーは淘汰され、電卓市場への新規参入も難しくなったのである。
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