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インターネット時代の幕開けイノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜(5)(1/2 ページ)

今回は、シリコンバレーの発展に欠かせない要素であるPCとインターネットの歴史について、触れてみたい。これら2つは、シリコンバレーだけでなく世界を大きく変えることになった。

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「イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜」連載バックナンバー

Macの誕生につながったAlto


初めてGUIを導入した「Alto」(クリックで拡大) 出典:Computer History Museum

 前回は、いよいよPC(デスクトップPC)が登場した1970年代半ばごろまでのシリコンバレーの歴史をたどった。このPCについて、もう少し詳しく紹介したい。

 現在のPCの原点となるタイプ、つまり、マウスでウィンドウ操作をするGUI(Graphical User Interface)を初めて導入したPCは、ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)が1973年に開発した「Alto(アルト)」である。PCの歴史に詳しい方なら、このAltoが、Appleの「Macintosh」(通称Mac)が生まれるきっかけになったのは、ご存じかと思う。

 1979年、PARCを訪れたスティーブ・ジョブズはAltoを見た瞬間に「これだ!」とひらめき、Macintoshプロジェクトに携わることになった。そして1984年1月、Macが誕生するのである。実はこの1年前、つまり1983年、Appleは大ヒットを放った「Apple II」の後継機種として「Lisa」を発表している。オフィス向けの16ビットコンピュータで、GUI環境のOS「Lisa OS」を搭載するなど最先端の機能を備え、野心的なアーキテクチャではあったが、ハードウェアの方が追い付かずに性能が出せなかった。その上、非常に高価だったこともあり、結局Lisaは、商業的には失敗に終わっている。筆者はLisaに実際に触れたことがあるが、個人的には面白いマシンだと感じた。

 パロアルトには、Town & Country Villageというショッピングモールがあるのだが、筆者が米国スタンフォード大学に留学していた1970年代末、そのモールの一角に小さな電気屋があった。その電気屋には、発売されたばかりの初期のコンピュータが並び、よく見に行ったものである。その電気屋も今はなくなり、かわいらしいカップケーキ店になっている。


Town & Country Villageの一角には、初期のPCが並ぶ電気屋があった。今はカップケーキ店になっている(クリックで拡大)

東芝「dynabook」の源

 PCについてはもう1つ、筆者にとって欠かせないエピソードがある。

 Macが誕生したまさにそのころ、当時、コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーのロサンゼルス事務所に勤めていた筆者は、東芝の複数のプロジェクトに携わっていた。そのうちの1つとして、筆者は東芝にクラムシェルタイプのPC、つまりノートPCを開発してはどうかと提案していた。だが当時のハードウェアの性能といえば、ディスプレイは真っ暗でレスポンスが遅く、フロッピーも8インチが主流で、クラムシェルタイプのPCを開発するには大きすぎた。そういったハードウェア上の障壁があったため、この提案は東芝に却下されてしまったのである。

 ところがその数年後、既にAZCAを立ち上げていた筆者が、コンピュータ関連の展示会「COMDEX」を訪れた時のことである。顔見知りの東芝の社員が筆者を呼び止め、ある展示品を見せてくれた。何とそれは、筆者が提案していたクラムシェルタイプのPCだったのである。展示品は、恐らくはコンセプトモデルだったのだと思うが、東芝のノートPC「dynabook」の源であることは間違いないだろう。

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