「人身事故での遅延」が裁判沙汰にならない理由から見えた、鉄道会社の律義さ:世界を「数字」で回してみよう(34) 人身事故(10/11 ページ)
今回、私は「人身事故に対する怒りを裁判にできないのか」という疑問の下に、裁判シミュレーションを行ってみました。そこから見えてきたのは、日本の鉄道会社の“律義さ”でした。後半では、人身事故の元凶ともいえる「鉄道への飛び込み」以外の自殺について、そのコストを再検討したいと思います。
(Q3)『自殺を眺め続ける江端は、「不作為の罪」に問えるか?』を、法律論に限定することなく自由に論じてください
⇒アンケート結果はこちらです。
この質問についても、ほとんどの方から「罪には問えない」旨のご意見をいただきました。
今回のケースの場合、刑罰法規が不作為を予定している犯罪である「真性不作為犯」(例:不退去罪(刑法第130条)など)には該当しないので、刑法を直接適用して私を裁くことは難しそうです。
しかし、刑法の規定がなくても「不真正不作為犯」の可能性は残ります。
これについても、「電車に飛び込む可能性がある人の行為を止める法律上の義務」がない私は、「不真正不作為犯」の構成要件を満たさない(保証人説) ―― との法律上の解釈をいただいております。興味のある方は、ぜひご一読ください。
なお、前述の「首吊り自殺『苦痛』計測プロジェクト」とか、「自殺コンサルタント」は、どういう法律上のロジックが成立するのだろうかと、今、私の頭の中で、シミュレーション中です。
それでは、今回のコラムの内容をまとめてみたいと思います。
【1】飛び込み自殺の人身事故に対する裁判が成立しない理由は、鉄道会社には定刻運用の義務がないから、ということが分かりました。隣駅に到着する時間を10分にしようが1時間にしようが、それは鉄道会社の裁量であり、法律上は全く問題ないからです。
【2】飛び込み以外の自殺として、「首吊り自殺」の苦痛の定量化を、我が国の死刑制度で採用している絞首刑から類推しようとしましたが、無駄に終わりました。「首吊り自殺」と「絞首刑」の間には、アマチュアとプロフェッショナルの技量や、設備や方式(ロングドロップ式)に差がありすぎて、比較できなかったからです。
【3】飛び込み自殺者は、自分を殺害した咎(とが)で、殺人罪が適用されるかどうかは、対立する2つの説があるものの、両説とも「自殺は刑罰の対象にはならない」という点では一致している、ということをご紹介しました。
【4】最後に、読者の皆さまからいただいたアンケート結果、例えば、「江端の目の前で、飛び込み自殺が行われるのを、眺め続けるだけの(止めようとしない)江端を、罪に問えるか」などについてのご回答と、現時点において「江端無罪説」が有力であることをご紹介しました。
以上です。
では、今後も、「なんというか、文章全体が『不快』で読んでいられません」というコラムを続けさせていただく予定ですが、引き続きご愛読いただけましたら、私はうれしいです。
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