「人身事故での遅延」が裁判沙汰にならない理由から見えた、鉄道会社の律義さ:世界を「数字」で回してみよう(34) 人身事故(7/11 ページ)
今回、私は「人身事故に対する怒りを裁判にできないのか」という疑問の下に、裁判シミュレーションを行ってみました。そこから見えてきたのは、日本の鉄道会社の“律義さ”でした。後半では、人身事故の元凶ともいえる「鉄道への飛び込み」以外の自殺について、そのコストを再検討したいと思います。
自殺は“殺人罪”には、ならないのか
では次に、「(3)飛び込み自殺者は、自分を殺害した咎(とが)で、殺人罪にはならないのか」について検討してみたいと思います。
ただし、ここでは、宗教的とか哲学的な罪という観点についてはスキップして*)、日本国の法律に基づいて検討してみたいと思います。
*)いわゆる、キリスト教の「命は神様の贈り物」みたいな考え方は、バッサリ無視する
海外では、自殺が「刑罰付きの明確な犯罪」されていたことがあります(多分、現在もあると思う)。
欧州では、18世紀に至るまでは、教会の権力基盤のもと、自殺に対する制裁が行われてきました。イギリスでは、実に最近、1961年(俳優の中井貴一さん、歌手の田原俊彦さんのご誕生年)まで、自殺に対して法的な制裁を続けていました。
やはりキリスト教がベースとなっているようで、自殺当事者は、「埋葬拒否」「財産没収」、自殺未遂者は「懲役2年」、自殺補助・教唆は「終身刑」という ―― もう、なんというか、ひと言で言えば、「自殺なんかしたら、殺すぞ」を立法化したといってもよいくらいのレベルです*)。
*)残念ながら、この時代の法律の立法趣旨までは手が届きませんでした。
比して、わが国においては、自殺は刑法の処罰の対象(刑罰)となっていません(定説)。
「そもそも刑法の目的って何だろう?」と思って、条文読んでみたのですが、法目的に関する記載がありません(特許法なんかは、第1条にデカデカと書いてあるんですけどね)。
どうやら、刑法の目的は、法解釈に任せられているようで、現在、3つの大きな説があるようです。
(1)報復(応報刑論):「やられたら、やりかえせ」→「被害者の救済と社会正義の実現」
(2)更生(特別予防論):「社会復帰させる」→「再犯を防ぐ」→「社会の安定」
(3)抑止(一般予防論):「『やったらひどい目に遭わせるぞ』という恫喝(どうかつ)」→「社会の安定」
現在の定説は(3)の「抑止」です。日本の刑法は、政策的な目的を持った「公法」で、私的な復讐を目的とするものではない(とされている)からです。
殺人罪(刑法199条)には「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」との記載がありますが、自殺には、上記(3)はもちろん、(1)も(2)も適用できない上に、刑法における「人」には自分自身は含まれないことが通説となっているらしく、殺人罪にはならないのです……って、そうかぁ? なんか、この話、うまいことごまかされているような気がするぞ。
なんか、この話では「命」に対する立法のスタンスを説明しきれていない気がしましたので、もう少しがんばって調べてみました。
まず、「そもそも自殺は違法ではない」という考え方(自殺適法説)があります。
この説では、自分の命は「自分の物(私的財産)」であるので、憲法第29条で保証される財産権であり、自殺は「幸福追求権」という、憲法第13条に基づく自己決定権であると考えます。
自殺が憲法で認められた権利であるなら、憲法の下位の法令である刑法が、何を言おうとも、自殺を罰することはできません(憲法第98条) (もちろん、この説(自殺の権利=自己決定権)には争いがありますし、この論では、『誰かの自殺を止めることが違法行為になる』という、すごい解釈も可能となります。)
その一方で、「自殺は違法である」という考え方(自殺違法説)もあります。
こちらは、生命という人間の重要な権利・利益を失わせることは、「自分の物(私的財産)」の処分の範疇(はんちゅう)を超えることであると考えます。
じゃあ、なんで「自殺は刑法上の犯罪にならないのか」という質問に対しては、2つの答えが用意されているようです。
(1)自殺はいけないことだが、自殺者には自殺をとどまることを期待できず、「なぜ自殺したんだ」と非難することもできないから(責任阻却説)
(2)自殺はいけないことだが、ささいな違法行為で、わざわざ国家が刑罰権を発動するまでもないから(可罰的違法性阻却説)
このように、自殺適法説、自殺違法説という対立する2つの説があるのですが、「自殺は刑罰の対象にはならない」という点では一致しているのです。
ところが、他人の自殺を手伝った人に対する罰(刑法第202条)に対しては、法解釈は容赦ありません。
自殺適法説、自殺違法説、どちらの立場でも「他人の命を失わせるという悪質な行為」「他人の命を奪う独自・自己の犯罪」「生命の利益をある程度放棄できるのは本人だけ」ということで、「自殺教唆・幇助(ほうじょ)は刑罰の対象である」という点で完全一致しています。
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