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人身事故を「大いなるタブー」にしてはならない世界を「数字」で回してみよう(40) 人身事故(最終回)(4/9 ページ)

「人身事故」という、公で真正面から議論するには“タブー”にも見えるテーマを取り上げた本シリーズも、いよいよ最終回となります。今回は、「飛び込み」を減らすにはどうすればいいのか、という視点を変え、「飛び込み」さえも構成要素として取り込む鉄道インフラシステムについて考えてみたいと思います。

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鉄道とは、“特殊”なインフラだ

 ところで、今回、あらためて考えてみたのですが、私たちの社会を支える重要な社会インフラシステムの一例としては、鉄道、電力、ガス、水、交通(道路交通)、そして鉄道がありますが、この中で唯一「鉄道」だけが、「行動予測不能なユーザーが、そのインフラ運用に干渉(妨害?)できる」という、まれな性質を持っています。

 電力、ガス、水については、テロリストが中央制御室を占拠でもしない限り、システムを停止させることは難しいです。設備の一部を壊すことくらいはできるかもしれませんが、たった1人で破壊できる範囲は知れています。

 交通(道路交通)に関しては、毎日、1500件近くの交通事故が発生し、平均11人弱の人が死亡しております。鉄道の「飛び込み自殺」の死亡者の平均人数1.7人/日と比較すれば、その数の違いは明らかです。

 それにもかかわらず、鉄道の人身事故が、社会生活に与えるインパクトは桁違いです。天災(天候や地震)によって影響を受けることにおいては、電力、交通も同じですが、たった一人の人間が、数万人規模の乗客に影響を与えられるという点において、鉄道システムは、他のシステムと根本的に異なります。

 そもそも、インフラシステムの制御対象(電車の車両)が、私たちの1m以内の目の前を、秒速20メートル近くで走り抜けている日常は、よくよく考えるとすごい非日常です。鉄道インフラシステムと人間は「距離ゼロ」で接しており、人間が直接、干渉できる唯一のインフラシステムが「鉄道」なのです。


画像はイメージです

 例えるのであれば、水を飲むためだけに貯水池に水をくみに行ったり、スマホの充電をするために原子炉に近づいたりするような、非日常感です。

 これは、「人間が鉄道システムに異常な干渉をしない」という前提に立っているからです。異常な干渉を行えば、人間が命を落とすことになり、そのような不合理な行動を行う人間が「いない(あるいは少ない)」という原則に立って、設計され、運行され、その結果、(インターナショナルな「帝国主義」とは真逆の)ドメスティックな「定刻主義」とも言うべきわが国の価値観が確立しております。

 政府の自殺対策や、鉄道会社のホームドアは、この「定刻主義」を維持する手段の一つであると考えているのですが ―― この主義がどこまで維持できるか、というと、私は疑わしいと思っています。

 私は、「定刻主義」を前提とした鉄道インフラシステムは、いずれ限界がやってくると考えています。

 理由は「飛び込み自殺」だけではなく、このシステムを設計運用してきた熟練者がすごい勢いでリタイアしていることと、そして、それ以上の勢いで加速している少子化(「“電力大余剰時代”は来るのか(前編) 〜人口予測を基に考える〜」)というダブルパンチです。インフラシステムのガーディアン(守護者)と、そのサクセッサー(後継者)が、同時に消滅しているのですから、これまで通りのシステム運用は期待できないと考えるべきです。

 ならば、「鉄道システムに異常な干渉をする人間は存在する」「故障や障害は、常に発生し続けている」という、そういうシステムへのパラダイムシフトが必要となってくると考えています。

 つまり、

――「飛び込み自殺」さえも、システム構成要件として取り込む鉄道インフラシステム

です。

 そして、社会システムだけでなく、私たち自身のマインドすらも ―― いたずらに人の死をタブー視しない ―― そういう「『自殺』という日常を前提とした社会」へのパラダイムシフトも必要になってくると考えています。

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