人身事故を「大いなるタブー」にしてはならない:世界を「数字」で回してみよう(40) 人身事故(最終回)(3/9 ページ)
「人身事故」という、公で真正面から議論するには“タブー”にも見えるテーマを取り上げた本シリーズも、いよいよ最終回となります。今回は、「飛び込み」を減らすにはどうすればいいのか、という視点を変え、「飛び込み」さえも構成要素として取り込む鉄道インフラシステムについて考えてみたいと思います。
「意外」に思った10のこと
今回の連載によって、私自身、「飛び込み自殺」についてさまざまなことを知ることができたのですが、本シリーズの全てを読み直してみて、私が意外に思ったことを、10個ほど書き出してみました。
これらの全てで、一応は「数字で裏を取った」ことについては、自分で自分を褒めてやりたいと思います(誰も私を褒めてくれないから)。(合計300ページを超える原稿をありがとうございました……! 編集部より)
その中でも、「飛び込み自殺」の多くが、自力ではコントロールできない心の病(うつ病)によって発生していた、という事実は、この連載の内容の大きな転換点となりました。この時から、私の「飛び込み自殺」に対する見方が大きく変わったと思うのです。
私たちは、自分たちを取り囲む、さまざまな対象と相関関係を持ちながら、バランスを図りつつ、自分の人生と社会の両方を維持しています。
例えば、個人としての私と、法人としての鉄道会社は、金銭と輸送サービスを交換することによって、相互の利益を導き出す関係にあります。私は鉄道会社に対して、対価に見合うサービスを要求し、鉄道会社は私に対して、運行を潤滑に進めるためのマナーを要求する関係にあり、これは、多くの場合うまく機能しています。
ところが、ここに、内向きに完全に閉じ、外部からの干渉を全く受けつけない、完全に予測不能なオブジェクト ―― うつ病による自殺希望者 ―― が入ってくることによって、この関係は、一気に崩れ去るのです。
上記の図から明らかなように、飛び込み自殺による人身事故の被害は、飛び込み自殺者が起因で発生し、そして、関係者全員を不幸にしながらこの状況が続き、しかも、その損害を回復するループは、どこにも作り出せません。
以前、うつ病による自殺の特徴は、その自殺の動機が、第三者から見て「さっぱり訳が分からない」ことがあるというお話をしました(「データは語る、鉄道飛び込みの不気味な実態」)。
うつ病の原因が、私たち(の社会)の理不尽や無理解にあるとすれば、飛び込み自殺を発生させたのは私たち自身(の社会)ということになります。
この理屈を延長させていけば、私たちは、私たち自身の責任で、人身事故の遅延という形で報(むくい)を受けている、という結論になり、一応の説明はできます ―― が、このようなメタ議論は、どれだけ積み上げたところで、(哲学的でかっこいい話になるかもしれませんが)何の進歩も効果も期待できないものです。ただの時間の浪費なのです。
もちろん、自殺者を減らすことが、この問題を解決する根本的な方法であることは明らかです。法律に基づく行政の働きかけもあって、その効果は上がってきているようです。しかし、これも既にお話しましたが、「飛び込み自殺者数」だけが減少していない ―― 停滞し続けているのです(「「江バ電」で人身事故をシミュレーションしてみた」)。
この理由についてはよく分かっていませんが、これをうつ病患者数の増減と関係があると考えれば、一応の説明は可能です(参考サイト)。そして、現時点において、うつ病を減らす決め手となる手段はない状況です。
上記の話から導かれる一つの仮説は、少なくとも当面の間「『飛び込み自殺』を根絶する手段はなく、私たちは『不幸の相関』を止めることができない」ということです。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.