MIPSコンピュータをめぐる栄枯盛衰:イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜(14)(2/3 ページ)
RISCプロセッサの命令セットアーキテクチャである「MIPS」。そのMIPSを採用したワークステーションの開発には、日本企業も深く関わった、栄枯盛衰の歴史がある。
コンピュータ業界に投資したクボタ
さて、時を同じくしてArdent Computer(当初はDana Computer、以下Ardent)が、Alan H. Michaels氏とMatthew Sanders氏によって1985年に設立された。彼らの目的は、デスクトップ型のスーパーコンピュータを開発することで、これにMIPSのR2000を採用することを決めた。以降、MIPS社とArdentは非常に良好な関係の元、開発が進んでいく。
だが、それから2年あまりで、スーパーコンピュータ「Titan(タイタン)」の開発は行き詰まる。スタートアップだったArdentは、資金繰りで苦戦し、立ち往生してしまったのだ。
そこでArdentは、日本メーカーも含め、戦略的な提携先を探し始めた。
この時代はちょうど、多くの日本企業が「事業の多角化」を図ろうと模索していたころである。詳しくは本連載の前回「創設12年で企業価値1200億円に、クボタの“多角化”を促したベンチャー」で説明しているので、ぜひご一読いただきたい。
結果的に、Ardentはクボタと提携することになり(クボタ側はもちろん、「事業を多角化」すべく提携した)、クボタはArdentに2000万米ドルの資金を提供した。この時、筆者は、既に日米企業の提携を手伝う仕事を始めており、Ardentとクボタの案件では、正式に提携するまではArdent側のアドバイザーを、提携後はクボタ側のアドバイザーを務めることとなった。
クボタはArdentとの提携を機にMIPS社にも投資をしている。
ところでクボタは、なぜArdentやMIPS社に興味を持ったのだろうか。前回の記事でクボタは、事業の多角化の一環として、Mycogenという、バイオ農薬を開発する会社と提携しているが、これは、クボタが扱っている農機の販路を通してバイオ農薬を販売できることを狙ったので、クボタの既存事業と関連性が全くないわけではなかった。
だが今回の相手はコンピュータ業界の企業である。クボタにとっては、“畑違い”ともいえる。
クボタがとった戦略(これは今となっては正しい戦略とは決して言えないのだが)は、「既存事業ではこれ以上の成長は望めない。ということは、自分たちの分野に近い、“隣接している分野”に行っても恐らくは成長は見込めないだろう。それならば、全く異分野である“飛び地”、しかもこれから成長が見込めそうな所に行って、勝負をしよう」というものだった。筆者の記憶では、クボタはこれを「落下傘アプローチ」と呼んでいた。
結論を先に言えば、ArdentやMIPS社に投資したこの「落下傘アプローチ」は、うまくいかなかった。クボタは、資金を投入する以外のことは何もできず、Ardentのスーパーコンピュータ開発も思うように進まなかったのである。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.