モノマネする人工知能 〜 自動翻訳を支える影の立役者:Over the AI ―― AIの向こう側に(16)(9/10 ページ)
最近の機械翻訳の発展には目を見張るものがあります。なぜ、ここまで進化しているのでしょうか。AI(人工知能)による翻訳、通訳を取り上げ、その発展の理由を探ってみると、その根底には、あるパラダイムシフトが存在していたことが分かりました。
自動翻訳技術の「立ち位置」は、私の興味とは真逆
今回のコラムの執筆で気がついたのですが、自動翻訳技術の「立ち位置」は、私の興味のある分野と真逆のようです。
しかし、将来、これも対訳コーパスが充実してくれば、もしかしたら、私の興味のある分野でも、十分活躍してくれようになるかもしれません ―― 例えば、以下のような感じに。
自動翻訳技術は、未来に期待のできる"AI技術"の1つとしてカウントできるような気がしてきています。
それと、前述した通り、戦後から今に至るまでの日本の英語教育と1950年代〜1970年代の英語翻訳技術のアプローチは酷似しています。
そして、近年「大量」「力づく」「確率計算」というパラダイムによって、自動翻訳の技術は、一気に向上しました。これは、いわゆる「ある企業が、英語に愛されないエンジニアを海外に送り込む*)」の、非道かつ乱暴なアプローチに似ている、とも思えます。
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義務教育の英語教育では、大量の人間(子どもたち)に、一定水準レベルの英語教育を施さなければなりません。語学というものを単語、例文、文法というものに「因数分解」して、その上で「因数を組み立てる訓練をする」という量産型英語教育手法は、費用対効果から見ても優れていると思います。
つまり、これは、「どちらが優れていて、どちらが正解か」という話にはならないのです。
それでも、少なくとも、近年の自動翻訳技術の手法から、上記の「因数分解的な英語教育手法だけが、絶対的ではない」ということが分かっただけでも ―― 私にとっては、とてもうれしかったのです。
さて、今回のコラムで想定した翻訳対象の言語は「英語」でした。これは、私たちが「英語」の内容を、(そこそこ)理解できるという前提で論じられています。
この前提において、"AI翻訳"と共生する未来を考えてみましたが、私たちの実生活では、あまり変化はない、と、ややネガティブに考えています。特に「語学(英語の勉強)不要論」は、全く成立しないだろうと思っています。
もし翻訳対象の言語が、「タミル語」であったとしたら、私たちは「気持ち悪い」以前に「誤訳」にも気が付くことができません*)。
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こんな不安一杯の中で、(プライベートであれビジネスであれ)母国語の利用だけを想定とした、国際コミュニケーションが実現するとはとても考えられません。
ただ、この「気持ち悪い」の問題についても、現在の「大量」「力づく」「確率計算」翻訳の技術によって、徐々に克服できていくのではないかと期待しています(理由は前述の通りです)。
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