未来を占う人工知能 〜人類が生み出した至宝の測定ツール:Over the AI ―― AIの向こう側に(19)(1/11 ページ)
今回は、統計処理技術についてお話します。え? 統計? それってAIなの?――そう思われた読者の方、確かにAI技術とは言えません。ですが、統計処理技術はAIの根底を成すものであり、これを知らないままでは、「英単語を知らずに英語を話そうとする」ようなものなのです。
今、ちまたをにぎわせているAI(人工知能)。しかしAIは、特に新しい話題ではなく、何十年も前から隆盛と衰退を繰り返してきたテーマなのです。にもかかわらず、その実態は曖昧なまま……。本連載では、AIの栄枯盛衰を見てきた著者が、AIについてたっぷりと検証していきます。果たして”AIの彼方(かなた)”には、中堅主任研究員が夢見るような”知能”があるのでしょうか――。⇒連載バックナンバー
テストで「66点」。この成績はよいのか悪いのか?
私が、小学校3年生のころだったと思います。
国語で66点の点数を取って帰宅した時、母親にすさまじい勢いで叱られ、玄関の外にたたき出されたことがありました。
そのころの私は、それほど勉強しなくても、テストではそこそこの点数が取れ、当時の小学生としては、子供らしくない勉強、例えば、政治とか近代史(のうわっつらな知識)を読んでは、それを"ひけらかす"のが好きな ―― いわゆる今でいう「中二病」の ―― 「いけすかない、むかつくガキ」だったわけです*)(もちろん、このようなガキが、嫌われていたのは当然です)。
*)参考:著者のブログ
それはさておき、当時の私の母親は、『テストというものは、大体80点位で、よく勉強すれば100点を取れるもの』という前提(というか思い込み)があったのだと思います。
実は、そのテストの66点は、クラスの最高点でした(後で分かった)ので、子ども心に「無知は暴力だ」と思いましたし、「無知でい続けることは怠慢だし、学ぼうとしないことは卑怯(ひきょう)だ」とも思いました。
ところで、私たちが子どものころ(そして多分今でも)、『偏差値教育』なる名前をつけて、それを批判する大人たちが大量にいました。私は当時から、そのような大人に対して、
―― 何をバカなことを言っていやがる
と思ってきましたし、これからもこの考えは変わらないと思います。
私は『偏差値教育』なるものが、どのような教育システムであるのか知りませんでしたので、今回調べてみたのですが、私の調べた限り『偏差値教育』は、その定義が存在しません(本当)。
ここから私が推測(邪推)するに、「偏差値教育」なるものを非難する人は、人生で一度も偏差値を理解しようとしたことがなく、ただの一度も、偏差値の計算をやってみたことがないのではないかと疑っています。それ故、「偏差値=悪」という短絡的思考に陥っているのではないかと思うのです。
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