政府vs企業で揺れる「副業」、労働者にメリットはあるのか:世界を「数字」で回してみよう(47) 働き方改革(6)(1/11 ページ)
「副業」は、それを推進するか否かにおいて、政府と企業のスタンスが(珍しく)対立する項目です。人口の減少が深刻な今、政府が副業を推進するのも分かる気はしますが、当事者である私たちが知りたいのは、これに尽きると思います――「結局、副業ってメリットあるの?」
「一億総活躍社会の実現に向けた最大のチャレンジ」として政府が進めようとしている「働き方改革」。しかし、第一線で働く現役世代にとっては、違和感や矛盾、意見が山ほどあるテーマではないでしょうか。今回は、なかなか本音では語りにくいこのテーマを、いつものごとく、計算とシミュレーションを使い倒して検証します。⇒連載バックナンバーはこちらから
“白黒はっきりさせない”大切さ
1978年に締結された「日中平和友好条約」は、「白黒はっきりさせない」という外交の有効性を、雄弁に語る事例です。
その6年前の1972年、日中は共同声明で「平和友好条約の締結」を約束していたのですが、その後、交渉はなかなかうまく運びませんでした。
いろいろ問題はあったのですが、最後の最後まで問題となったのが「日中の戦争状態の終結」を、どう表記するか、でした。(以下、ここでは「中国」とは「中華人民共和国」の略称とします)
- 中国側:日本との戦争状態はこの条約が締結される直前(1972年)まで続いていた、という立場を取りたい
- 日本側:中国との戦争は日華平和条約(1952年)で既に終了している、という立場を取りたい
「それって、そんなに大層なことか」と思うかもしれませんが、実は私たちは、この手の問題の面倒くささを、最も良く知ってる国民です。
私たち日本人にとって、太平洋戦争の終戦は1945年8月15日です。しかし、旧ソ連(今のロシア)は、日本の降伏文章の調印日である9月2日を終戦日としました。
これによって『ソ連の北方領土の占領は、交戦中に行われたものであり、北方領土がソ連に属することは、国際法上合法である』という立場を取っているのです*)。
*)この問題、日ソ中立条約の一方的破棄やら、山ほどの面倒な話があるのですが、取りあえず『こういう問題が起こり得る』ということを知っておいてください。
「日中平和友好条約」の話に戻りますが、両国の戦争終結日の解釈は、実に20年(1952年 vs 1972年)もずれており、どちらの政府にとっては、絶対に譲れる内容ではなかったのです。
まず、ドラフト案として、以下の条文が提示されました。
【ドラフト案】
日本国と中国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出された日に終了する。
で、当然、この条文案のままでは、上記の「20年間のタイムラグ」の問題が残ることになります。
そこで、両国政府は、次のような【前文】を付け加えることで「逃げ」……もとい、「問題の解決」を図ったのです。
【前文】
両国国民は両国間にこれまで存在していた(1)不正常な状態に終止符を打つことを切望している。(2)戦争状態の終結と(3)日中国交の正常化という両国国民の願望は両国関係の歴史に新たな一頁を開くこととなろう。
(かっこと太字は江端が追加)
このようにして、中国側では「不正常な状態」を上記の(1)+(2)と解釈できるように、日本側では(1)+(3)と解釈できるようにして、自国の国民に対して説明可能となるように意図的なミスリーディングを謀ったわけです。
実際のところ、この【前文】がなければ、今なお日中国交回復が実現しなかったかもしれません。そのように考えれば、この両国政府の謀りごとは、両国の国益に大きく貢献したと評価して良いと思います。
このように「白黒はっきりさせない」は、このような国際外交だけでなく、政治、経済、組織の運用から、お隣のお家との付き合いまででも使われている、有効で強力な戦略なのです。
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