私を「疾病者」にしたのは誰だ? 労働と病(やまい)の切っても切れない関係:世界を「数字」で回してみよう(49) 働き方改革(8)(6/10 ページ)
現代の社会において、労働と病(心身の)の関係は切っても切り離せません。会社組織には、「労働者」を「疾病を抱える労働者」へと変貌させる機能が備わっているのかと思うほどです。今回は、「労働者の疾病」に焦点を当ててシミュレーションを行ってみました。
自らの意思で離職してしまう
この図式を、以下のフローチャートで説明したいと思います。
私が疾病を抱える労働者になってしまった場合、この責任の所在が会社と自分のどちらにあるかを、客観的かつ定量的に明確にすることは不可能です(司法が裁判で「エイヤ!」と決めるのが精いっぱい)。
それでも、私たちには「労働法」(労働基準法、他の法律)があり、かなりの保護を受けることができますが、これらの保護は、現場(例:会社のオフィス、工事現場)ではうまく機能していないのが実情です。
私たちは、法律の保護よりも、むしろ現場の「空気」というか「雰囲気」のようなものに支配されています。特に、私たち日本人は「誰かに迷惑をかけている(かもしれない)」ということに対して、相当に大きな恐怖を持っていて、常に自罰的に考えてしまう傾向が強いです。
私には、現在の「働き方改革」の妨害要因のほとんどが、この「恐怖」にあるのではないかと思えるくらいです。
さて、この「恐怖」を理解するのには、疾病を抱える労働者の疾病数、第5位の"がん"(第1位の"高血圧"ではなく)をケーススタディーとして考えてみると分かりやすいです。
"がん"には、「疾病を抱える労働者の『仕事を続けたい』という気持ち」を挫(くじ)く、全ての要素が、見事なまでにそろっています。
"がん"が持つ「不治の病」や「死に至る病」のイメージは今なお健在です。早期発見への呼び掛けによって、このイメージは改善されているものの、"がん"を取り扱ったドラマで、「主人公の命が助かるケースが絶無」であるなどの状況もあるかと思います。
それに、"抗がん剤治療"や"放射線治療"など、人生で未体験の治療が登場しますが、そこから目を背けることは許されません(私は、連続している5文字の漢字を見るだけでも怖い)。
そもそも、身体的な痛みも苦しみもない状況においてさえも、仕事というものは、どんな仕事であれ、いつだって辛くて大変なものです。そこに、"がん"によるひどい痛みや、治療に使う薬の副作用による苦しみが加われば、その辛苦は、私の想像を越えます(痛みに対して懦弱な私には、イメージすることすら怖い)。
そのような状況下で、仕事を続けられなくなるかもしれない不安、そして、現実に仕事を続けられなくなるという状況は、1人の人間が抱えるには重過ぎるのです。
もっとも、"がん"以外でも、"高血圧"や"心臓病"でも、同じ状況にはなりますが、まだ、発生プロセスや対処法が、ある程度見えるだけでも、その不安の度合いがずいぶん低くなるだろうと思います。
例えば、私の場合、不眠症が治らず、両腕の痛感でペインクリニックに通院している状況が続き、不安ではありますが、それでも、"がん"の恐怖には遠く及ばないことは知っています。
現実に、"がん"になった人の34%が離職しています*)。
*)参考:「第2回働き方改革実現会議 治療と仕事の両立等について」
その離職の理由を見てみると、半数(54.4%)の人が自罰的な理由で離職されていることが分かります*)。
*)参考:「がんと向き合った4,054人の声」
もっとも、会社からの休職制度の不備、勧告、命令は、全体の25.2%くらいで、これも看過できません。
ただ、退職するまでの期間として、「1〜3年の間」が最も多いことを勘案すると、単に「自罰的」と判断するのは、早計過ぎるかもしれません。なぜなら、この期間に"がん"が進行して、苦痛が耐えられないレベルに至ったという可能性もあるからです。
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