デジタル時代の敬老精神 〜シニア活用の心構えとは:世界を「数字」で回してみよう(57) 働き方改革(16)(1/11 ページ)
今回は「シニアの活用」についてです。やたらとずっと働きたがるシニアに働いてもらうことは、労働力の点から見ればよい施策のはずです。ただし、そこにはどうしても乗り越えなくてはならない壁が存在します。シニアの「ITリテラシー」です。
「一億総活躍社会の実現に向けた最大のチャレンジ」として政府が進めようとしている「働き方改革」。しかし、第一線で働く現役世代にとっては、違和感や矛盾、意見が山ほどあるテーマではないでしょうか。今回は、なかなか本音では語りにくいこのテーマを、いつものごとく、計算とシミュレーションを使い倒して検証します。⇒連載バックナンバーはこちらから
余暇が苦手です
私は、"余暇"というのが苦手です。
この事に気がついたのは、学生の頃、学費と生活費を稼ぐために、狂ったようにバイトを入れ続けていて、気がついたら目標金額を超えていた時です ―― その時の私は、絵に描いたような「苦学生」だったハズなのですが、不思議と『辛かったなぁ』という記憶がありません(もちろん、合コンやらパーティやらの記憶もありませんが、それを今でも『残念だった』とも思いません)。
さらに、そのお金を使って、海外の放浪の旅をしていた時、(シャレで)一泊だけリゾートホテルに泊まってみたことがありました。そこで、生まれて初めて『プールサイドで、水着でカクテルを頼む』を試してみましたが ―― かなり本気で、退屈のあまり窒息死するかと思いました。
一体、何をどのようにすれば、これを"楽しい"と感じられるのか、私には、本当に1ミリも、1ミクロンも感じることができませんでした。
これは、嫁さんと新婚旅行でリゾートの島に行った時も同様でした ―― 私にとって、あれはリゾート島どころか、獄門島であったと断言できます。
世の中のコンテンツを見てみると、その中で登場する富裕層(セレブ、上流階級、成金)を示すステータスのキーワードは「リゾート地」「プールサイド」「クルーズ船」「カジノ」「カクテル」「パーティ」くらいで、それ以外の表現を私は知りません。
もちろん、これらの娯楽には、私には計り知れないほどの深淵があり、そこには果てしない快楽があるのかもしれませんが ―― 私は、それを知りえないまま人生を終えそうです。
加えて、私は「ゲーム」「ギャンブル」を楽しいと思うことができません。それは私が「勝てない」からであり、それ故、それらについての「成功体験」を持つことができないからです(著者のブログ)。
さて、ここで、今回のテーマに即した、一つの仮説を提起したいと思います。
―― 余暇を楽しめる能力は、個人の資質に基づく"才能"である
余暇(あるいは暇[ヒマ])が、無条件に、万人にとって、"良いもの"とか"善なるもの"と見なすのは、かなり偏見の入り交じった考え方ではないか、または「余暇を与える」ことは、人によっては、とてつもない拷問になり得るのではないか、ということです。
実際に、「仕事を与えない」というパワハラがあります。いわゆる「追い込み型退職」といわれるものです(参考ページ)。
これらのパワハラは、給料を支払っている限り、違法行為の認定はされにくいものであり、それ故に、使用者側にとっては最強の切り札ともいえるパワハラでもあります。
ところが、この"余暇パワハラ"(?)を法律で制定し、国民総意の元で運用している国があります。『定年退職』という立法制度を持つ、我が国、日本です。
シニアの“活用”
こんにちは、江端智一です。
今回は、政府が主導する「働き方改革」の項目の一つである、「シニア活用」に関して、お話していきたいと思います。
前回と同様、「シニア"活用"」という言葉に引っ掛かる人も多いかと思いますが、今回の"活用"は、本当の意味で"活用"です ―― はっきり言いましょう。「シニアは、社会で"使いもの"になるのか」です。もっとはっきり言えば「シニアは、自分が、社会で"使いもの"になりたいと、本気で考えているのか」です。
今回の私は「国家(政府)」でも「社会(世間)」でもなく、「シニア(高齢者)」そのものを斬るつもりです。
これは、敬老精神のカケラもない残酷な仕打ちで、で、間違いなく「天に吐いたツバ」で、もう10年も待たずに、私(江端)の顔に落ちてくる「ツバ」でもあります。
しかし、この問題を「働き方改革」というフィルターからのぞき込むと、この問題は、政府の施策以前に、シニア自身にその問題が多くあるように見えるのです。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.