量子もつれ 〜アインシュタインも「不気味」と言い放った怪現象:踊るバズワード 〜Behind the Buzzword(5)量子コンピュータ(5)(8/9 ページ)
今回は、私を発狂寸前にまで追い込んだ、驚愕動転の量子現象「量子もつれ」についてお話したいと思います。かのアインシュタインも「不気味」だと言い放ったという、この量子もつれ。正直言って「気持ち悪い」です。後半は、2ビット量子ゲートの作り方と、CNOTゲートを取り上げ、HゲートとCNOTゲートによる量子もつれの作り方を説明します。
つまり「量子もつれ」とは
それでは、最後に”量子もつれ”をまとめてみましょう。
さて、この「量子もつれ」ですが、前述した通り、光を超える高速通信としては「役たたず」であることは説明しましたが、まだこの「量子もつれ」についての活用方法(アプリケーション)については、まだ十分に調査できていません(今月は「ベルの不等式」で狂っていました)。
次回、「量子テレポーテーション(に関する、世間の壮大な誤解)」の話も含めて、「量子もつれ」のアプリについてご報告したいと思っています。
量子の非局所性を理解することと、ベルの不等式のコンピュータシミュレーション(しかも、失敗した(著者のブログ)だけで、このひと月の週末と夏休みは、全部もっていかれました……。
受験生でもあるまいし、私、何やってんだろう……と、今、資料の山の中にうずもれながら、遠い目をしています。
では、今回の内容をまとめます。
【1】宗教関連のホームページに、結構な頻度で量子論の話が記載されていることに気がつき、その状況の把握と、理由を考えてみました。英語圏で4000万ページ、書籍数1000程度あること、さらに、その理解の深度を比率で調べてみたところ、「彼らは量子論を"論"として理解していない」ことが分かってきました。この理由については、宗教論としての"理"を説くだけの知力のない無羞恥な教祖にとって、量子論は大変都合の良い素材であるから、と結論付けました。
【2】量子もつれを理解するのに、避けて通れない「量子の非局所性」に関する概要を、『木星に出張した江端』というフィクションのストーリーで説明を試みました。またこの「量子の非局所性」に関する量子論100年間の論争と、その内容について「アインシュタインさん vs ボーアさん」という対立構造で説明を試みました。
【3】「量子の非局所性」に対する解決アプローチとしての「ベルの不等式」を使って、「アインシュタインさん vs. ボーアさん」の決着がつくことを説明した後、「アインシュタインさんの敗北が確定」した歴史的経緯を説明しました。
【4】2量子ビットを、2つの量子井戸と電子を使って実現する方法についての概要を説明しました。また、ラビ振動を使った電磁波の照射によって、2つの量子井戸で2ビット量子ゲートを実現する方法と、2ビット量子ゲートの中で、最も有名なCNOTゲートについて説明しました。
【5】アダマールゲートとCNOTゲートを使った「量子もつれ」の作り方について、量子井戸のイメージと照らしあわせながらの説明を試みました。また、「量子もつれ」が、通常の「量子の重ね合わせ」の積算では作り出せないことから、「2つある量子の一方の状態に、他方が、ズルズルと引っ張られてしまう状態あることである」と解説しました。
【6】本コラムでは、私は、一貫して、1対の量子の一方の状態の確定が、瞬時に他方の状態を確定させるという「量子の非局所性」について、「気持ち悪!」と言い続けました。
以上です。
この連載を始めてから、私の、量子コンピュータの実現性に対する疑念は深まるばかりです。
これは、私の性格(浅学、狭量、卑怯)に依存するものかと思ってきたのですが、結構、著名な物理学者も同じようなことを考えていたのだと知って、ちょっと安心しています。
- 「量子コンピュータは夢ではなく悪夢である」(セルジュ・アロシュさん フランスの物理学者でノーベル物理学賞受賞者)
- 「量子コンピュータ100年プロジェクトではなく、1000年プロジェクトである」(チャールズ・ベネットさん ランダウアーの原理の提唱者)
実際に、Shorのアルゴリズムなどを現実に使えるレベルの量子ビット数を計算した人がいて、その内容を見て、かなりがく然としています。1024ビットの因数分解計算に、量子ビットが6000個必要で、その誤り訂正用の量子ビットが、4億5000万個必要とか。
ちなみに、現時点では、実験用量子コンピュータのビット数が51→53になるかどうか、という話をしている状況です。
もっとも、私は、(古典)コンピュータがプリント基板の上に乗っていたころから、今に至るまで、コンピュータ技術の進歩をずっと見つづけることができた人間であり、時々、驚くような技術革新によって、コンピュータの性能が、爆発的に進化する過程を目撃してきた、コンピュータ史の観測者です。
しかし、量子コンピュータを、現在の(古典)コンピュータと同じ枠組みで考えて良いものか、私には分からないのです ―― 状況が違い過ぎるからです。
量子コンピュータの最大の弱点は、「日常的に多くの人によって観測されるような経験的な物理現象」を「共有できない」ということにあります。
超高度な数学や難解な理論式の中で、ようやく見えてくる物理現象 ―― それは、多くの人にとって「見えない」と同じです。
加えて、今回の冒頭で、「量子もつれ(=量子の非局所性)」の話が、私を発狂寸前にさせた、という話をしましたし、そして著名な物理学者たちが「量子論を理性的に理解するのは諦めろ」と呼びかけているお話もしました。
ということは、
―― 量子コンピュータの研究開発に関わる者は、少なくとも一度は、発狂寸前になる
という運命にある、ということだと思っています。
「でも、これって、かなりキツくないかなぁ?」と思っています。
なぜなら、私たちエンジニアが、人類史上、開発、改良を続けてきた「技術」というものは、基本的には科学的アプローチ(仮説→観測→実験のフィードバックループ)によるものだからです。
しかし、量子コンピュータの基盤となる量子を使った技術開発は、
- 仮説:死ぬほど難しい(数学的に無矛盾であることが必須で、量子論の数学はとても難しい)
- 観測:できない(量子状態を、直接観測する手段はない)
- 実験:方法の発見すら難しい(「ベルの不等式(1964年)」から、最初の実験装置の完成が8年後。完全な実験(と言われているもの)が完了したのが、51年後の2015年
というものであり、これまでの技術開発の対象とは、(恐ろしく困難な方向に)次元の異なる”何か”のように思えるからです。
「量子コンピュータは夢ではなく悪夢である」「量子コンピュータ100年プロジェクトではなく、1000年プロジェクトである」というフレーズは ―― 「量子もつれ」の勉強に疲れ果てた、今の私には、本当に心に染みるものなのです。
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