検索
連載

「コロナワクチン接種拒否」に寄り添うための7つの質問世界を「数字」で回してみよう(68)番外編(10/14 ページ)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のワクチンについて、必要回数のワクチン接種が完了した割合が70%を超えた日本。今回は、テーマをこれまでとは180度転換し、「コロナのワクチン接種を拒否することが、理論的か否か」について語ってみたいと思います。ワクチン接種を拒否する人も、肯定する人も、お互いの立場に立って、ワクチン接種について考えてみたいのです。今回もおなじみ、“轢断のシバタ先生”が、超大作の「シバタレポート」を執筆してくださいました。

Share
Tweet
LINE
Hatena

Q3:国民の生命を守るという大義名分があれば、ワクチン非接種者を非難しても良いのではないか?

A3:「個人および他人の命への脅威は最大限まで取り除くべき」という理屈でワクチン非接種を否定するのであれば、「個人の自由を尊重することで大量の命が毎年失われている事実」や、「科学的に避けられるにもかかわらず文化的に許容される死」があるという事実も批判されなければなりません。

江端解釈

これは、非常に重要なテーゼです。


 まず、有名どころから。タバコが原因とされる死亡は毎年十数万人と推計されています(参考)。しかし、販売が禁止される気配は今のところありません。完全に快楽と雇用、税収が生命よりも優先されています。

 自動車はどうでしょう?毎年4000人前後の命とその数倍の障害者を量産し続けていますが、利便性と雇用、経済のために自動車産業をつぶそうという意見は皆無です

 アメリカでは1日100人、年間4万人が銃の犠牲になっていると言いますが、自衛の権利と企業の利権のためにこの膨大な犠牲は正当化されています

 単純に「運動不足」だけでも健康寿命が十数年も短くなるという事実は意外と知られていませんが、ぶっちゃけヒ素を少量ずつ盛るようなレベルで健康に悪影響です(参考)。これも、個人の健康は個人に責任があるとして法規制の対象ではありません

 次に文化的な事例を挙げてみます。

 例えば、臓器提供意思表示カードで「はい」を選択する義務はありません。ただ、それで救える命があった場合に、間接的にその人を殺しているという事実を意識しながら臓器提供の意思を示さない人は少数派と思われます。個人の思想の自由と引き替えにして数百人の生命予後を悪化させることは、日本の文化的には許容範囲内です。

江端解釈

これ、極めて重要です。


 他人の生命予後の最大化が義務では無いことの他に、個人の希望や尊厳を延命より優先することについての議論も一般化してきました。いわゆる安楽死と尊厳死が典型的です

 その他にも、絶食が望ましい状態で「最後に寿司が食べたい」という患者に「リスクがあるから絶対ダメだ」と完全シャットアウトするのは、本人にとっても家族にとっても悔いの残る選択になる可能性があります。もちろん、そのために数カ月単位で寿命が縮む可能性もありますが、寿命を最優先にすることが絶対的正解であるとは私には言えません。自分だったら、最後に好きなものを食べて死にたいからです。

 長い前置きでした。ここから本論に入ります。

 最後に、コロナによる死亡のざっくりした推計を記します。コロナによる予測最大死亡数はワクチン無しで245万5000人でした。これが2021年9月22日時点の接種率およびワクチンの死亡率減少効果≒90%を代入して計算すると、予測最大死亡数は48万8000人になります

 豪華客船の事例を見ると、閉鎖空間による感染率は対策が後手に回ったとしても最大20%程度までで食い止められるという経験則があり、1つの波による死亡数は9万8000人を超えることは無いでしょう。

 年間コロナ感染率をことし(2020年)と同程度以下に抑えることを目標として人口の1%を仮定すると、コロナによる年間予測死亡数は既に年間5000人程度にまで抑えられると計算されます

江端補足

現時点において、コロナによる年間死亡数(実績)は1万1000人/年です。


 タバコ関連死の12万〜13万人や運動不足による4〜5年の寿命短縮と比較して明らかに少なく、自動車事故による死亡者数やコロナ以前のインフルエンザによる1万人前後の超過死亡とほとんど同程度のインパクトと表現して良いのではないでしょうか。

 長々と書きましたが、まとめると「命よりも自由が優先(命の自他を問わず)という事例はたくさんある」ということです。そうである以上は、ワクチン接種の拒否だけをやり玉にあげて批判するのは無理があるのではないかな、と思います。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る