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「コロナワクチン接種拒否」に寄り添うための7つの質問世界を「数字」で回してみよう(68)番外編(12/14 ページ)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のワクチンについて、必要回数のワクチン接種が完了した割合が70%を超えた日本。今回は、テーマをこれまでとは180度転換し、「コロナのワクチン接種を拒否することが、理論的か否か」について語ってみたいと思います。ワクチン接種を拒否する人も、肯定する人も、お互いの立場に立って、ワクチン接種について考えてみたいのです。今回もおなじみ、“轢断のシバタ先生”が、超大作の「シバタレポート」を執筆してくださいました。

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Q7:集団免疫を形成するためにはワクチン接種者数を最大化する必要があるのではないか?

A7:ワクチン接種のみで集団免疫を形成することは既に不可能となっています。従って、集団免疫を理由にワクチン接種を強要することはナンセンスです。

 R0(基本再生産数)はデルタ株において5〜10に達するとされています。

 計算上、集団免疫を達成するために必要な免疫獲得者の割合は、簡易計算(1-1/R0)を用いて(1-1/5)=80%から(1-1/10)=90%の間と言うことになります。これまでの前提である「接種者の90〜95%が終生免疫を獲得する」という条件ですら、人口の90%以上が接種してやっとギリギリ集団免疫が得られるかどうか、という計算です。

 しかし、イスラエルで行われたデルタ株に対するワクチンの効果の検討では、ワクチンが発病や感染を防ぐ効果は64%にまで低下したとされています(参考)。

 さらには、接種後の抗体価の低下速度が思いのほか早いという事実や、医療機関においてあちらこちらでブレイクスルー感染が発生し、その感染者のほとんどがワクチン2回接種後だったという例も複数報じられていますので、「終生免疫もしくはそれに近い状態が得られる」という集団免疫の前提条件は崩れ去っています。集団免疫形成によるコロナの制圧は既に過去の考え方です。

 この際言ってしまおうかと思いますが、2021年の年末にワクチン希望者全員への接種が完了した後はコロナ感染の平衡期(stable phase)となり、来年(2022年)からは「next normal」とか「withコロナ」などと呼ばれる時代に突入します。希望者全員がワクチン接種を行えば、免疫公衆衛生学的にはそこが1つの到達点なのです。

江端コメント

今回のシバタレポートで、最大級の衝撃を受けたのが、上記のフレーズでした。


 コロナ禍にはトンネルを抜けるような劇的な終着地点はありません。永遠に続くトンネルの天井が徐々に高くなり、いつのまにか天井と青空の区別がつかなくなる……それが集団免疫が不可能な感染症との付き合い方です

 治療薬による重症化率と死亡率の低下や、変異株の入れ替わりによる流行の活性化など、トンネル内の景色には紆余曲折があるでしょう。ですが、集団免疫があり得ない以上は、基本的にはだらだらと感染の波(夏休み、冬休み、春休み、ゴールデンウィークの4回前後)が続き、インフルエンザと同じように流行に合わせた追加ワクチン接種を毎年1回行うというのがいわゆる「普通」になります。まあ、この予言が大ハズレに終わり、内服薬で後遺症ゼロというすばらしい未来が来るのが一番良いのですが……。

 結局のところは、コロナ流行の初期から言われ続けている「行動変容」が最大のカギです。ワクチン接種率が低くても流行を押さえつつ経済活動を維持している国家(地域)は実際に存在しています。

 ただし、この行動変容について「持続可能かどうか」と言う点には議論の余地があると思います。「感染連鎖を絶つのに十分かつ永続的に受け入れ可能な行動変容とは何か」という社会的な議論と合意の形成が必要です。

 以上、Q1からQ7に対する回答を総合し、個人がワクチン非接種の不利益に納得する限りにおいて、

―― ワクチン接種を拒否することが非論理的とは言えない

と結論いたします。



 最後に一言。

 以上の文章は江端さんからの「新型コロナワクチン接種を拒否するに足る説得力のある論理的説明を求む」というご希望に最大限沿うために構築した論理です。出典、論理展開に虚偽記載はありません。

 本来前面に出すべきワクチンの効果を認めつつその部分の露出を最小に抑え、都合の悪い数字には極力触れず、「打たなくても不利益は本人だけ」「社会的には不利益は無いよ」「個人の不安や恐怖は認めてね」という消極的な論法に終始することで、論理的な矛盾が生じることを回避したつもりです。

 ただ、やはり医師の立場としては死の恐怖と窒息の苦痛を味わう中等症、重症化のリスクや最悪な後遺症に延々と悩まされるリスクにおびえるくらいなら、さっさとワクチンを打つことを強くオススメしたいところです。もちろん、副反応やアナフィラキシーのリスクについてはご自身で飲み込んでいただく必要がありますが。

 宮崎駿氏による著作であるマンガ版の「風の谷のナウシカ」では興味深い対比が見られました(以下、決定的なネタバレが含まれますので注意してください)。

 ナウシカの世界では、旧人類が環境を徹底的に破壊し、地球は旧時代の生命が住めない星になってしまいました。旧人類は腐海を作り出し、環境を浄化させ、蟲(オウム)に腐海の管理をさせるとともに、人類そのものを遺伝子ごと作り替えて環境に適応させました。

 環境の脅威に対して生命としてのあり方を人工変化させてまで生き残ることを最優先にした旧世界の叡智に対し、ナウシカは「生命の尊厳が大事だから旧人類の介入は全否定させていただきます」と宣言して、環境負荷への科学的な対抗法(恐らくはゲノム編集による体質改変技術)を捨て去り、旧世界からの箱舟に保存されていた新人類を虐殺し、遠い未来の人類の生存の可能性をつみ取りました。

江端コメント

この「ナウシカ」は漫画版の内容で、映画版だけでは読み取れないかもしれません


 私は、読者としてはナウシカの考え方も興味深いのですが、現実の生き方としては旧人類派です。生き残る方法があるのであれば、今までの生活様式を変えるのは仕方がないと受け入れ、新しい技術は使用するべきと考えています。

 私とは逆に、束縛されることなく宴会やコーラスを楽しみ、これまでと変わらない自由を謳歌し、「死ぬときゃ死ぬんだ、ワクチンなんて意味ナイナイ」という豪放磊落な生き方を是とする考え方もあるでしょう。しかし、人生を豊かにする方法は時代により変化し多様化し続けてきました。ネットだってパソコンだって、50年前には無かったのです。

 新たな治療法を模索しつつ、行動変容を受け入れ、時代に適合した交流の仕方や楽しみ方を探すことで、コロナ前より人生を豊かに生きる知恵を生み出すことは、きっと可能です。

 遺伝子改変技術による人類種の改造を拒否して間接的ジェノサイドの引き金を引いたナウシカも、目の前の人生を生きるためにマスクを着用することについては容認していました。みなさん、是非とも基本的感染防御の徹底を、よろしくお願い申し上げます。

 今度こそ最後に一言。

 ワクチン接種を医学的理由無く拒否しようと考えている人は、もしも自分がターミネーター(付録3参照)にならず、おバカの仲間入りをしてスプレッダーとなった場合、未必の故意による殺人者となる可能性が極めて高いという事実を十分にご理解いただきたいと思います。

 今回のシバタレポートは以上です。



 では、今回の内容をまとめます。

(1)生まれ変わったら金正恩だった件』というラノベ、マンガの創作を例にして、新型コロナウイルス疾患COVID-19に対して、ワクチン接種の肯定、または否定の、いずれかを支持するのではなく、「分かり合えないことを、分かり合う」ための、壁の高さを低くするアプローチについて、論を展開してみました。

(2)私たちには個人的な思い込みがあり、その思い込みの一つに、政府、企業、マスコミに対する根源的な不信感があることを示し、実際に、彼等の過去のウソを幾つか列挙してみました。

(3)その一方で、SNSで展開されている「反ワクチン」に関する情報のほとんどが荒唐無稽な上、引例も出典も証拠もほとんどたどれない、“噴飯モノ”であることが分かりました。

(4)さらに悪いことに、そこには「フェイクニュース」という、人々の不安に付け込む悪質なビジネスが行われており、さらに、そこにコロナ陰謀論に便乗するビジネスが、がっちりと確立していることを示しました。

(5)ネット上に、まともな政府陰謀論が一つも見つけられなかったので、江端が独自で作った5つの陰謀論(ただし実現手段不明)を案出し、その中の一つを使って、陰謀が成立し得るかを数値シミュレーションで検証しました。結果としては、大量殺人を目的とする陰謀が、成立し得ないことを明らかにしました。

(6)「政府もSNSも信用できない」という状況の中で、それでもワクチンを拒否する人たちの理由は、「不安」であると考えたものの、「不安」ではワクチン接種への同調圧力には対抗しにくいと考えた私は、シバタ医師に、「ワクチン接種を拒否しうる論理的な説明」を依頼しました。

(7)シバタ医師からは、「ワクチン拒否が他人の迷惑にならなければあとは個人の好きにすれば良いよね?」を前提条件とした上で、「スーパースプレッダー単独犯論」「製薬会社への与信システム不在論」「個人の自由と生命に関する他の事例との比較検討論」「ワクチン接種時間による時間損失論」「集団免疫幻想論」などの、ロジックと数値の伴う、説得力のある7つの「ワクチン接種拒否の正当理由」を展開して頂きました。


 以上です。



 今回、シバタ先生から、予想を越える強いロジックのレポートを頂き、本当に感謝しております。

 ただ、シバタ先生も私も、そもそも「ワクチン接種をすることが、当たり前」と考える側の人間ですので、今回のレポート、コラムは、強烈なストレスを感じながらの執筆になりました。実際、私の場合、従来の2倍以上の時間を必要としました。

―― 自分が信じていないことを書くというのは、こんなにもつらい

を実感しました。

 しかし、同時に、私たちは恵まれていた、ということにも気付かされました。

 シバタ先生は、コロナウイルス、コロナワクチンの仕組みや作用を理解して第三者に説明できる能力を持ち、そして、私は、その内容を理解する(必死で勉強する)モチベーションと、それをシミュレーションモデルに展開する能力をたまたま持っていたから、それほど恐怖におびえる必要がなかったのです。

 もし、医学的知見や、数理的知見がなく、ただ、『誰かの言葉を信じるだけの世界』を生きなければならなかったとしたら、これは本当に恐しいことだろうと思います。

 政府にはうんざり、SNSにはがっかり、(フェイク)ニュースはうさんくさい。例えるなら、「強盗」と「詐欺」と「スリ」のどれがいいかを選ぶ、みたいな世界です*)。「どれを信じるか」ではなくて、「どれを信じれば被害が少ないか」を考えなければない ―― これが、コロナワクチン接種の判断を、最も難しくしている理由なのかもしれません。

*)ちなみに上記のフレーズ、YouTubeのパクリです。

 というわけで、ともあれ、ワクチン接種を恐れる人が、感染予防の意義を理解した上で、行動変容に心掛けて頂いている限りは ―― つまり「スーパースプレッダー」 = 「バカ」にならない限り ―― 再度の感染拡大を過度に心配する必要はありません。

 そして、ワクチン接種を拒否している人は、ワクチン接種をしている人を、ことさら敵視する必要もないはずです。まあ、ラーメン屋に入る時に、ワクチン接種証明書を求められる程度の不快には、我慢して頂く必要があるかもしれませんが、最近の冷凍食品のラーメンも十分に美味しいです。

 というような感じで、この辺を落とし所として、当面は「苦笑いの共存」で凌(しの)いでいきませんか?

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