老後を生き残る「戦略としての信仰」は存在するのか:「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(6)(11/12 ページ)
今回は、「老後を生き残る「戦略としての信仰」」をテーゼに掲げて検討していきます。宗教は果たして私を幸せにしてくれるのか――。それを考えるべく、「江端教」なる架空の宗教団体をベースに話を進めます。
これでも「マイルドになった」のです
さて、今回のコラムをご覧になって、ほとんどの方は、「過激な内容だ」と思われたかもしれません。カルト宗教団体を知っている人なら『これは危険だ。止めた方がいい』と、心配されている方もいるかと思います。
実際、「カルトには、手を出すな」が、私たちの時代の共通認識でした ―― 『一度でも、集会に連れていかれたら、終わり』であり、『批判した本人だけでなく、家族も友人も無差別に襲われる』というウワサが、まことしやかにささやかれていました。
しかし、大学時代の私を知っている人は、『江端ってば、まあ、すっかり丸くなって・・・』、『本当に、これが江端が執筆したの? 内容がマイルドすぎて、全く江端らしくない』と、真逆の方向で、驚いているかもしれません(筆者のブログ)。
今回はマインドコントロール、恐怖、思考停止について、あえて記載を避けています。それを書き出すと、今回のテーマである「老後を生き残る戦略としての信仰」から大きく逸脱することが、簡単に予想できたからです。
今回の執筆で参考文献としたのは、もっぱらカルト宗教団体からの脱会に成功した人の体験談でした。その人たちから語られる言葉を使って、自分なりに理解するように努めました。
『合同結婚式』を気持ち悪いと思うことや、『霊感商法』を反社会的な悪であると決めつけるのは簡単です。しかし、私は、この「気持ち悪さ」や「反社会的な悪」に至るまでのロジックについては、これまで、十分に解説されていないように思いました。
そこで今回、私は、自分なりのやり方で、そのプロセス(教義の内容や、霊感商法を続けさせる方法など)の理解に努めました。その結果、自分の中ではかなりスッキリすることができました。ただ、同時に、『この問題、簡単には片づかない』ということも実感してしましました。
個人的意見ですが、私たちは『自分の責任で、自己破滅する権利』も持っていると思っていますので、自分の信仰した宗教で破滅するのも、また一つの生き方かと思うのです。
しかし、ただ、この宗教による影響は、本人だけにとどまらない点にあります。いわゆる「二世問題」と言われるものも、その一つです。
私は、ティーンエイジャのころから、もし両親が宗教にハマったら、即座に逃亡しようと考えていましたし、妻や子どもにも、その危険性については十分に教えてきました ―― いざとなったら、私は妻や子どもであっても縁を切る覚悟がありますし、逆に私がそのような状態になったら、妻や子どもに『その場で私を捨てろ』と言い含めています。
娘たちには、「友人が宗教にハマったら、絶対に助けようなどと思うな。無駄だから。やれることは一つ、そいつから全力で逃げ続けろ」と、何度も言い含めています。
もう、数年前のことになると思いますが、長女が、京都大学の吉田寮に宿泊してきたこことがありました。アニメ「四畳半神話大系」のオープニングに登場する寮です(YouTubeに飛びます)。なんでも、演劇サークル関係での集まりで参加したそうです。
「自治寮」「演劇」とくれば、もう、これは「学生運動」だな、とか思っていたのですが ―― まあ、彼女は、そういう風にはならなかったようです。『これからは、長女と、熱い政治論を闘わせられるのかな?』とか思っていたのですが ―― 江端家において、そのような議論は、1秒間も発生しませんでした。
それどころか、警察から『娘さんが、公務執行妨害で逮捕され、現在拘留されています』という電話を受けたことが一度もない、というのは、保護者として本当にありがたいことだ、と思っています。
比して、私の親(母)は、京都の大学で学生運動関連の事件があると『アンタ、何もしていないわよね!』と電話をかけてくる人でした。しかし、母は、そういう方面には疎い人間でしたので、うちの親に、いらん知恵を付ける困った親戚がいたように思えます。
そのような電話に対して、私は、『そんな時間があれば、生活費稼ぎのバイトしとるわ、ボケ! 』と、怒鳴り返して、電話を叩き切っていました。
まあ、母親の心配には、それなりに根拠はありました。私が、学寮(自治寮)に住んでいたからです。自治寮というのは、大抵の場合、政治運動とリンクしていました(今は知りませんが)。
私が学寮に住んでいた最大の理由は、寮費が安かったからです。そして、家賃格安の自治寮に住み続けるために、私も『いろいろと"やらなければならないこと"』があったのです(寮長とか)。
しかし、私は、政治運動には、最後まで熱中できませんでした。少なくとも、電気の勉強 ―― 特に、自力でコーディグしたZ80パソコンでの電子回路のシミュレーション ―― への情熱と比べれば、政治など、棒にも箸にもかからないくらい、どーでもいいことだったのです。
正直、工学部の厳しいカリキュラムに追い立てられながら、週に1回または2回の徹夜をしながらレポートを書いて、週7日のバイトを続けていた、この身の上から言えば ――
講義にも出席せず、平気で留年して、酒を飲みながら大声で政治を語るあいつらは、私にとっては、『憎悪の対象』だったように思えます。今、思い出しても、あいつらには腹が立ちます。
やがて、学業とバイトの両立が軌道に乗り、天下一品のラーメンに唐揚げを付けることができるようになり、友人たちから『江端財閥』とまで言われるようになった私(本当)は、退寮を決意しました。
私は、自分で稼いだお金で、下宿を始めた日の爽快感を覚えています。
―― あの下らない『総括』の日々から、やっと開放されたぁぁぁぁあああ
と。
さて、私のこの学生時代の話、今回のコラム(の前半)の話に、似ていると思いませんか。
私は、カルトからの脱会を考えている方に、「神様や、イデオロギーや、仲間とか、そういうものを全部失うことになったとしても、『意外に大丈夫だよ』」と、言いたいのです。
もし、仮に平気でなかったとしても、あなたの入会を心待ちにしているカルトや政治団体は、この国には、腐るほどあります ―― ですから、この機会に教団の活動に疑いを感じている信者の方は、「教団脱会」を前向きに検討してみてください。
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