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老後を生き残る「戦略としての信仰」は存在するのか「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(6)(2/12 ページ)

今回は、「老後を生き残る「戦略としての信仰」」をテーゼに掲げて検討していきます。宗教は果たして私を幸せにしてくれるのか――。それを考えるべく、「江端教」なる架空の宗教団体をベースに話を進めます。

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老後を生き残る「戦略としての信仰」を考えてみる

 こんにちは。江端智一です。本日は、これまで続けてきた投資に関して、一休みして、今回は、「お金に愛されないエンジニア」の、老後を生き残る「戦略としての信仰」を考えてみたいと思います。

 私は、エンジニア的な視点で物事を見るように作られた研究員ですが、別に唯物論者というわけではありません ―― 「『宗教』はシステムであり、『信仰』はシステムへの入出力である」という、少々ひねくれた見方をしていますが、それでも、宗教の効果は ―― それが、有用であれ、害悪であれ ―― 理解しています。

 子どものころに、父に連れられていった地元の寄合所で行われていた御岳山信仰の集会では、神様に憑依した神主さんが、私の学業成就のお願いに対して、低い声で厳(おごそ)かに『その願い、叶える〜〜!』という声を、頭(こうべ)を垂れて聞いていましが ―― あの白目の顔を作るのは、年季の技だよなぁ ―― と、その「演技」に感心していました。

 小さな下町工場の経営者であった父が、厳しい経営に毎日苦しんでいたことは、子どもの私でも分かっていました。この集会で、父の心の負担の100分の1でも、軽くなっているのであれば ―― 私は、喜んで、神妙な顔をして「神のお告げ」を受ける茶番くらい、我慢して演じてみせる、と思っていました。

 比して ―― 母が工場で階段から転倒して、瀕死の重体になった時、どこからともなく現われて、実家の床の間に勝手に祭壇を作った(多分、父は金を払ったのだろうと思う)某宗教団体のふるまいは、私に、宗教に対する決定的な憎悪と嫌悪感を植えつけました



 今回のコラムでは、「カルト」「新興宗教」「カルト宗教」などを濫用すると思いますので、最初にこれらの用語の定義について説明させて頂きたいと思います。

 まず「カルト」ですが、本来の意味は、本来の意味は「儀礼、祭儀」で、批判的な意味は含んでいなかったようです。また、新しい宗教の初期形態も「カルト」と呼ばれていたようです。

 これが、次第に「特定の対象を熱狂的に崇拝したり礼賛したりする集団(宗教団体を含む)」という意味で使われるようになってきたようです ―― 「カルト」がこの意味のままでしたら、熱狂的なアイドルの推し活をする集団も、「カルト」と呼ばれたはずです。

 現時点での「カルト」は、以下の要件で使用されることが多いようです。

(1)反社会的、違法、または、社会通念上の常識に著しく反する信条を持ち、
(2)上記(1)を信仰という手段で実施する団体(宗教団体)、またはその構成員(信者)

 要するに「あぶないヤツら」ということです。

 反社会的、反モラルで、違法行為に及ぶことに躊躇(ちゅうちょ)のない、狂気の宗教団体に安易に手を出すのは、危険です。絶対に止めるべきです*)。それでも、私の老後を生き残る戦略となるのであれば、一度はちゃんと取り組んでみるべきだ、とも思いました。

*)今回のコラムは、EE Times Japan編集部にも、家族にも、後輩にも一言も相談せずに、いきなり寄稿しました。

 お金に愛されない私の老後に幸せを提供してくれるものならば、それがなんであれ、今の私は手を出さざるを得ないのです。もう私は、なりふり構ってはいられないのです。



 今回の前半は、カルト宗教団体についての私の調査研究(ほとんど私のライフワークいってもいい)結果をご覧頂きたいと思います。

 なお、このコラムでは、老後を生き残る「戦略としての信仰」を考えるものであるので、カルト宗教に対する批判や非難が目的ではありません。いつもの通り、エンジニアリングアプローチで、私が知り得た内容を淡々と記載してまいります。

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