老後を生き残る戦略として「教祖(仮)」になってみた:「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(7)(7/10 ページ)
前回に続き、老後の生き残り戦略の一つとしての信仰を考えてみます。今回、私は「教祖(仮)」となり、「教祖ビジネス」についてさまざまな角度から検討してみました。
浄財を頂いてみよう
さて、次は、十分に信仰力を上げた信者から、いくらの献金を巻き上げ……、もとい、浄財を頂けるかの検討に入ります。
具体的には、過去に「ヘタを打った教団」の情報から、訴訟に至るギリギリのラインを見極めてみます。
ここに示す金額は、平均値にすぎず、財産の全部を献金するする奇特な信者もいて、さらに、そのような献金をして、訴訟を起こさなかった人もいる、ということを覚えておいてください(後で説明します)。
単純に金額だけで判断できませんが、私が調べた感じでは、「献金が合計100万円を超えたと感じた時点でアウト」と、覚えておくと良いかと思います。もし、献金を拒否するのが難しいのであれば、情報公開請求法を使って、教団の収支報告書を取り寄せる旨を申し出れば、多分、教団の献金ハラスメントは止まると思います。もし、「サタン!」などと罵しられるのが怖いのであれば、黙って取り寄せて調べれば良いです。
これを、将来教祖となる私の視点から見れば、信仰力0.75を目ざす努力は払いつつ、訴訟に至らない穏当な献金(上限100万円程度)で収める、ということが必要で、狂信的なラディカルな献金希望者は、逆に教団から追放する、くらいの覚悟が必要ということです
教団解体は、1つの民事訴訟がきっかけで始まります。これが集団訴訟になり、検察の目に入ることで刑事事件に発展し、あるいは取引先との関係悪化につながり、信徒の脱会、または解散命令に至る、負のループバックに陥ります。
信徒からの献金は、教団とその教祖となる私にとっては、重要なライフラインです。ここを違法スレスレ運用していくためには、緻密な教団内部のコントロールをし続けなければなければならない、ということです。
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