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「お金がなくてもそこそこ幸せになれるのか」を宗教と幸福感から真剣に解析してみる「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(10)(6/9 ページ)

今回は、「なぜ、カルトの信者はあんなに幸せそうなのか」という疑問に端を発して、「お金がなくてもそこそこ幸せになれるのか」を宗教と幸福感から真剣に解析してみました。

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なぜ、カルトの信者はあんなに幸せそうなのか

 さて、ここからは、冒頭の私のテーゼ「なぜ、カルトの信者はあんなに幸せそうなのか?」「なぜ、あれほど世間からズレていても、自信タップリにしていられるのか?」について検討してみたいと思います。

 ここからは、論文「人は宗教で幸せになれるのか」の内容をレビューしながら、私なりに検討させて頂きます。

 まず、さまざまな宗教を、「宗教」という一つの概念でまとめることには無理があるようです。ここをちゃんと整理しておかなければ、カルトの本質を見失うことになるからです。

 仏教やヒンズー教は宗教ではあるのですが、超越者(神さま、仏さま)への熱心な傾倒というよりは、その国の国民の生活、習慣、道徳にゆるやかに溶け込んで、日常生活の基盤として、無意識的に機能しているものです ―― いわゆる日本人タイプ、と言えると多います。

 比して、イスラム教やユダヤ教は、政教分離どころか、政教一致として、宗教が法律として機能するケースが多いです。法律を作る主体が、国民(の代表者)ではなくて、経典の中の神さま、と理解すればO.K.です。

 私がパッと思い付くだけでも、サウジアラビア、イラン、アフガニスタン(タリバン)などがあり ―― 特に、イスラム教の中でも原理主義的な考え方を政策としている国は、女性の人権(教育、就労、その他)が徹底的に踏みにじられていることで有名です(そうでない国もあります)。

 また、カトリックキリスト教や正教は、形式主義が強く表れている感じです ―― 言わば“茶道”みたいな感じでしょうか。『型(基本形)から入ることで、真理(神)に近づく』、という感じでは、武道(空手とか合気道)の精神にも近いように思えます*)。ローマ教皇を選出するコンクラーベ (conclave) という選挙制度も、この”型”の一例に見えます。

*)ちなみに私、合気道5級(×段)です。

 これらに対して、プロテスタントキリスト教は、ちょっと独特です ―― 独特といっても、世界で5億人ともいわれる人口を有しているのでメジャーな宗教ではありますが、その出自が独特なのです。

 カトリックキリスト教に”蹴り”を入れて分派したという歴史的経緯(ルターの宗教改革)もあり、その精神は独立自尊にあるといっても良いでしょう。いわゆる新興宗教、または、カルト系の宗教は、その精神が先鋭化されたもの、と見なすことができます。

 カルト系の宗教団体は、おおざっぱに言えば”大学のサークル”でしょうか。生活・習慣、法律、祭礼・儀式などに拘束されることなく、基本的にはフリーダム。

 とはいえ、100%オリジナルというわけでもなく、既存の大手宗教をベースとして、(A)勝手な教義の改修をしてしまうことと、(B)自分が救世主であるという主張をすること、が特徴と言えます。さらに(C)教団を大きく豊かにし、批判者を廃除するためには、不道徳どころか非合法の手段をも平気で行使することは、旧称統一教会やオウム真理教の事件を調べれば、明らかです。

 さて、これらを踏まえた上で、前述した図を使って、宗教の中でも、特にカルト宗教団体におけるウェルビーイングについて、適合度を調べてみました。

 うん ―― 怖いくらいの適合度。

 はっきり言って、カルト宗教は、ウェルビーイング製造システムといっても過言ではない、と言えます。手っ取り早く幸せになりたいなら、宗教はお勧めです。その中でも「洗脳がメインのサービスメニュー」となっているカルト宗教は、とってもお手軽に”幸せ”を入手できそうです。

 そんなことはない ―― と、反論したい方が多いと思います(正直、私も反論したい)が、もう一度繰り返し申し挙げますが、自分の幸福感(の中の、認知的幸福感)を決定している”モノ”は、「自分オリジナルの主観的ルールまたは基準」を作っている自分自身である、という冷然たる事実です。

 つまり、カルトの外部からの客観的な批判や非難は、かれらの幸福度に1mm足りとも傷をつけないのです。

 私財の全額献金が、たとえ彼らの生活インフラ(子供の養育費や教育費を含む)を破壊しようとも、死後に神の国に生まれ変わることを考えれば、費用対効果は無限大といっても良いでしょう。生前養子契約が教祖の御心に沿うのであれば、子供の人権などささいな話です。なぜなら、その子供も神の国に生まれることができるのですから。

 勉学や仕事で悩むこともなく、面倒な人間関係にわずらわされることもなく、現世の複雑な社会システムに適用する努力も投げ出し、ただ、教祖の言われるままに、祈って、修行して、献金するだけで、未来の(または来世の)幸せが担保される ―― そのためであれば、自分以外、または、信者以外の人がどうなろうが、知ったことか ―― うん、非常に分かりやすい”ウェルビーイング”です。

 ただ、一つだけ気になるのが、カルト宗教団体と実世界とのインタフェースとコミュニケーションです。旧称統一教会が60万人ですが、(解散命令前の)オウム真理教に至っては、一番多い時でもたかだか1万5000人程度です。現実世界と離れて生きていけるほどの、信者数ではありません。

 とすれば、カルト宗教団体は、信者と現実世界の人間とのコミュニケーションを徹底的に妨害するか破壊するしかありません ―― しかし、それを現実に実施しているようです(例えば「改訂新版 統一教会とは何か」)。

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