「お金がなくてもそこそこ幸せになれるのか」を宗教と幸福感から真剣に解析してみる:「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(10)(8/9 ページ)
今回は、「なぜ、カルトの信者はあんなに幸せそうなのか」という疑問に端を発して、「お金がなくてもそこそこ幸せになれるのか」を宗教と幸福感から真剣に解析してみました。
宗教は運命的に「テロを作り出す」?
しかし、それ以外にも、自分の信じる宗教の世界を、力づくで実現させるモチベーションを与えるのも、また宗教の(ネガティブな)機能の一つなのです ―― ”テロリズム”です。そして、ここに登場してくるのが、いわゆる「カルト」なのです。
宗教テロというと、近年では、IS(イスラミック・ステイツ)などが真っ先に想起されます(最近は、ISがアフガニスタンのタリバンを標的にテロをしているなど、もう、訳が分かりません)が、国内だって、宗教テロはありました。
オウム真理教がテロリスト団体であったことは疑いようもありませんが、いまだに死刑執行された教祖の教えに従って、1650人もの信者が活動を継続していること(参考)は、ウェルビーイングの観点からは語れるものではありません。
旧称統一教会のやってきたことが、テロリズムであるかどうかは読者の皆さんの判断に任せるとしても、高額献金、霊感商法、詐欺的教団勧誘、出産前養子縁組(筆者のブログ)、2世信者問題 ―― は、どう考えても、反社会的で反道徳的な行為です。これもまた、ウェルビーイングの枠外と言えるでしょう。
今回の調査と分析および考察は以上です。
今回のテーゼの一つである、「なぜ、世界統一家庭連合(旧称統一教会)の信者は、あんなに『幸せ』そうに見えるのか?」については理解できたものの、私は納得しているわけではありません(相変わらず不愉快です)。
一方、現実社会と調和のとれた宗教(×カルト宗教)が、ウェルビーイングの優れた製造システムであることは間違いなく、現時点でそれを否定する要素は見つかっていません。
私としては、宗教と並び立つ、別のウェルビーイング製造システムが登場して、それと宗教を選択できる世の中になって欲しいのですが ―― (カルトと同様に)現実社会とのインタフェースを無視したウェルビーイング製造システムとしては「飲酒」「喫煙」「ドラッグ」「ギャンブル」、その他の依存症くらいしか思い付きませんでした。
それでは、今回のコラムの内容をまとめてみたいと思います。
【1】本連載「お金に愛されないエンジニア」では、当初「お金を得る手段」についての検討からスタートしましたが、本来の目的が何であるかを、考え直した結果、「幸せなシニアのままで、最期に至るプロセス」こそが重要であることに、今さらながら気が付きました。
【2】そこで、幸せとは何かについて、2022年における最大の社会事件の当事者である「世界統一家庭連合(旧称統一教会)の信者」が『幸せ』に見えて、腹が立つ」という事実から出発して、この問題を考えることにしました。
【3】いわゆるカルト教団の行動原理を理解する方法論として『平面地球を信じる世界』を想定して、その中に、自分(江端)を置いてみる方法を提示しました。そして、カルト教団の信者からは、その教団の外側の全てが、サタン(悪魔)に見えるというイメージをシミュレーションしました。
【4】主観的幸福(Subjective Well-Being)に関する論文を精読し、「幸せ」というものが、主観的ルールのみによってのみ構成され、人間は自分の「幸福/不幸」を、自分で勝手に決めつけている、という事実を明らかにしました。また、”外出”というものが人間の幸せに貢献しているが、それは、”非日常的”な様相が必要であり、退職後の生き方として、「いろいろ考えないで、まずは家の外に出ろ。そして何かやれ。そんでもってそれを続けろ」が、一つの方法であるという結論に至りました。
【5】「主観的幸福」の観点から、人々がカルト宗教にはまり、そこから抜け出せない理由の一つは、それが「幸せ」であるから、という(身も蓋もない)結論に至りました。またカルトであるか否かに関わらず、宗教は人間を幸せにする手段として有効な手段であることと、それに加えて、宗教は運命的に「テロを作り出す装置」でもあることを、ロジックと実例で示しました。
以上です。
教祖の立場で、寄附勧誘防止の新法律を考えてみる
さて、今国会で、旧称統一教会のような宗教団体の霊感商法や非常識な献金を防止する法律が、成立しました(参考)。
この法律の制定に関しては、最後の最後まで、政府与党と野党の間で「マインドコントロール」の定義について紛糾しました。実は、私自身も「マインドコントロール」を定義してみようと試してみたのですが、うまくできませんでした(筆者のブログ)。
ですので、アプローチを変えて考えてみることにしました。
―― 私(江端)が、カルト教団を運営する教祖の立場で考えてみよう
この立場で考えると、やはり、私も本法律の第三条の「配慮義務」に目が行きました。
第三条 法人等は、寄附の勧誘を行うに当たっては、次に掲げる事項に十分に配慮しなければならない。
一 寄附の勧誘が個人の自由な意思を抑圧し、その勧誘を受ける個人が寄附をするか否かについて適切な判断をすることが困難な状態に陥ることがないようにすること。
ふむふむ、では、この「配慮義務」の違反に関する罰則はどうなっているかな?と調べてみると、罰則はないようです。
また、第4条の禁止事項についても、寄付を取り消すことはできるけど、直接の罰則の対象にもなっておらず、内閣総理大臣の命令発令後の行為について、「一年以下の拘禁刑若しくは百万円以下の罰金」になる(第16条)と読めました。
なるほど、ならば、「命令発令前に、資産家を狙った一発勝負の寄附勧誘」を仕掛ければ、罰則から逃れられるな、と、ほくそ笑みました。
また配慮義務には、それぞれの家庭の経済状況などを配慮しなければならない、となっていますが、これは『きちんと、配慮しました』と言って、事前に適当な調査報告書もどきを作っておけば対処できそう ―― など、姑息な脱法方法を考えていました。
逆に言えば、この第三条の「配慮義務」を、第四条の「禁止行為」に入れられると、相当厳しいと感じました。ですので、日本共産党の提出した修正案は、正直「困る」と感じました。
(1)『配慮義務』が『禁止』になっていること(事実上の『寄付の要請』の禁止)、と、(2)寄付金の資金調達の方法(生命保険を解約させるなど)まで具体的に記載されている点が、相当に痛いです。
ただ、今回成立した法律(×共産党案)であれば、カルト教団「江端教」は、ギリギリ運用していけると思います(両罰規定はあるけど、法人重課がないですし)。
今後、この議論が行われず、他のカルト教団も目立たないように活動して、カルト教団同士、協力しあってうまく生き延びていく必要があるなぁ、と実感しています。
それにしても、あのマヌケな旧称統一教会のせいで、信者の老後資産を食いつぶして運営しているわれわれカルト教団は、ひどい巻き添えを食いました。本当に腹が立ちます(筆者のブログ)。
ところで、この「法人等による寄附の不当な勧誘の防止等に関する法律」の法人には、「学校法人」も入るのでしょうか?(“宗教法人”と限定されていない)
私、長女と次女の高校や大学入学時(そして、在学中も)に、寄付金に関する勧誘の手紙を何度も受けとりました。一口20万円くらいの、一般家庭には厳しい金額の寄付金の要請でした。
嫁さんが支払おうとしていたのを、『そういうのは、余裕のある家に任せろ。我が家には、そんな余裕はない』といって、止めたのを覚えています ―― 結局、娘の在学中、一度も寄付金は払っていません。
しかしながら、寄付金を払わなければ、娘たちが学校で不当な取り扱いを受けることにならないか、と心配になったことも事実です(もし、娘が不当な取扱いを受けていることが明らかになったら、即、訴訟を起こして、コラムのネタにしてやる、とも思っていましたが)。
さて、この学校法人の寄附の要請行為は、本法律の第3条1項の、「寄附の勧誘が個人の自由な意思を抑圧し、その勧誘を受ける個人が寄附をするか否かについて適切な判断をすることが困難な状態に陥ることがないようにすること」に該当しないでしょうか?
入学前、子どもたちはもちろん、保護者同士相談する機会もありません。また、子どもが不利益を受ける可能性が『完全にない』とも言えない状況です。これは、『寄附をするか否かについて適切な判断をすることが困難な状態』と言えるのではないでしょうか?
というわけで、この法律の最初の適用例が「学校法人」で、内閣総理大臣がその学校名を公表する(第6条2項)というようなことになったら、なかなか愉快だろうなぁ、などと考えていました。
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