1日1回の外出は2000円の価値? 「孤独」がもたらす損失を試算してみる:「お金に愛されないエンジニア」のための新行動論(11)(5/9 ページ)
今回は、「移動」と「ウェルビーイング」を解析した論文を読み解いてみました。そこで得た結論は、「孤独を回避して幸せになりたいのなら、毎日外へ出ろ」というものです。
「孤独」「孤立」「社会的疎外」は少しずつ意味が異なる
ところで、我が国においては「孤独」「孤立」「社会的疎外」は、あまり区別されて使われていませんが、一般的には以下の図のように表されます。
「孤独」や「社会的疎外」は、良い意味では使われていませんが、「孤立」については、自力で行うという意思の表現として、良い意味で使われることがあります。
ただし、「孤立」は、それが自分の意思であったとしても、社会ネットワークから断絶を意味しますので、リスクがあります。病気やけがで倒れた時などに、セーフネットが働かないからです。
この3つの微妙な違いを理解していただいた上で、論文の内容の説明に入っていきたいと思います。
オーストラリアの2都市のアンケート結果
この論文で対象としたのは、オーストラリアの2つの街、メルボルンとラトローブ・バレーの、合計683人です。いわゆる「移動弱者」という人を狙って、8つの項目の観点からアンケートを実施しています。
さて、このアンケートで対象とした「社会的疎外」の構成要素は、以下の5つです。評価方法としては、それぞれの評価方法にも基づいて、Yes/Noの2値で回答を得ています。
私がこの評価方法で違和感があったのは「政治的関与」です。「政府キャンペーン、行動グループへの貢献/参加を1年間行わなかった」とのことで、社会的疎外のリスクポイントが上がっていきますが、私(江端)は、人生で一度も政治的な活動を行ったことがありません。
これは、オーストラリアというお国柄かもしれません。また米国の大統領選挙などのニュースを見ていると、特定の候補者に対する、あの熱狂ぶりというのは、私たちには理解しにくいような気がします(正直、どん引きします)。
私たち日本国の民主主義とは、政治家個人に対して大きな期待をしないことを特徴とせず、その政策に対してのみ賛意を示す、民主主義であると言えるのかもしれません(まあ、そうでないケースもあるようですが)。
まあ、それはさておき、これはオーストラリアのアンケートですので、その方向で話を進めていきます。
以下の図は、それぞれの疎外リスクの相関関係の数値を表に示したものです。
「政治的関与」と「参加」に関して、強い相関が見られるものの、それ以外については、比較的独立していることが分かります。
この表で違和感を覚えたのは、「雇用」と「政治的関与」の関係です。我が国では、雇用状況が悪化すると、政府を攻撃する感じがしますが、そのような状況が見られません。
また「世帯収入」と「社会的支援」については、関連がないどころか、ネガティブ(負数)ですらあります。「収入は収入」であり、それとは別に、「社会支援はそれ自体として成立しているべき」という考え方があるように思えます。
以下の図は、社会的疎外のリスクを、ポイント数と項目でまとめたものです。
左図からは、都会(メルボルン)のほうが、地方(ラトローブ・バレー)よりも、疎外リスクは若干小さいものの、全体の2/3は社会的疎外に該当していることが見うけられます。一方、右図からは、「雇用」が社会的疎外リスクとしては低い値だったことは、注目に値します。
―― 失業は、疎外感を発生させないのか?
我が国において、失業(というか、解雇)は、人によっては「死刑宣告」に近いものを感じる人が多いように思えますが、就労形態が流動的なオーストラリアにおいては、失業は、日常的なものなのかもしれません。
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