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半導体産業の道を切り開いた、Moore氏追悼インタビュー再掲(1/3 ページ)

「ムーアの法則」を提唱したGordon Moore氏が2023年3月24日に逝去した。米国EE Timesが2005年に行ったインタビューの記事を再掲する。

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 Fairchild SemiconductorおよびIntelの共同創業者であり、後に「ムーアの法則」と呼ばれることになる、半導体技術のトレンドを提唱したGordon Moore氏が、2023年3月24日に94歳で亡くなった。

 何世代ものエンジニアにインスピレーションを与え、半導体産業の未来への道を切り開いたMoore氏。米国EE Timesは2005年3月9日に、同氏の生涯の功績をたたえEE Times Annual Creativity in Electronics (ACE) Awardを贈っている。同日にセレモニーが行われた後、Moore氏はEE Timesの記者と座談会を行い、半導体業界の過去、現在、未来について話し合った。そのインタビューを、再掲する。

ACE Awardの授賞式にて。前列中央にGordon Moore氏がいる
ACE Awardの授賞式にて。前列中央にGordon Moore氏がいる(写真は2006年のもののようだ)

Intelの誕生と昔のシリコンバレー

――最初の数回の学会「ISSCC(International Solid-State Circuits Conferences)」で、いくつかの基調講演を行い、初期のマイクロプロセッサの多くを発表したことについて、最も記憶に残っていることは何でしょうか。

Gordon Moore氏 初期のISSCCミーティングで覚えているのは、2月のフィラデルフィアの雪だ。もちろん誰のせいでもないが、大失敗に終わった会議だった。

――1960年代のスタートアップを取り巻く環境は、どのようなものでしたか。

Moore氏 1968年にIntelを立ち上げたときは、ベンチャーキャピタルが利用できる稀有(けう)な時代だった。翌年には税法の改正により、ベンチャーキャピタルを活用する利点が少なくなってしまった。われわれはタイミングが良かったのだ。(Intelの共同設立者である)Bob Noyceは、ベンチャーキャピタリストのArthur Rock氏に電話をかけ、「新しい会社を作る」とだけ言った。Arthurは「分かった」と答え、何か計画を立てるように言ってきた。Noyceは1ページの事業計画書を作成したが、そこには(事業計画のようなものは)ほぼ何も書かれておらず、シリコンについて何か書いてあるだけだった。Arthurは、彼の友人たちに電話をかけ、午後には資金を調達していた。

――どのくらい調達したのですか。

Moore氏 Noyceと私が最初に50万米ドルを投入し、Arthurが250万米ドルを調達してくれた。

――シリコンバレーはどのようなところだったのでしょうか? Intelの最初の建物はどこにあったのですか。

Moore氏 われわれの最初の施設は、マウンテンビューにあった。Union Carbide Semiconductorが使っていた施設で、必要なインフラがそろっていた。ところが、詳しく調べてみると、道路を挟んで向かい側にある下水管の底が腐食していることが分かった。ごく普通の配管に酸を探し込んでいたのだ。

 数年後、われわれはサンタクララに落ち着いたが、あまりにも郊外に行き過ぎたのではないかという懸念もあった。Memorexの拠点はあったが、そこ以外は果樹園が広がるばかりだった。

――カリフォルニアがまだそれほど発展していなかった頃が懐かしいですか?

Moore氏 ペスカデロ(カリフォルニア州の地名。サンノゼから西に進んだ海際の町で、Moore氏の自宅があった)辺りも、まだそれほど大きく変わっていない。私の故郷は、カリフォルニアで唯一、60年前に比べて大きくなっていないことで有名なのだ。

――数年前、「生涯の目標を達成した」とおっしゃっていましたね。今でもそのように感じていますか。

Moore氏 残っている目標は、できる限り長生きすることかな! 私は、天体物理学でも何でも、「新しい発見」というものにワクワクする。個人的にダークマター(暗黒物質)に興味を持っていて、それについて勉強していたところ、今度はダークエネルギーが登場したのだ。科学とは本当に良いものだ。願わくは、私がこの世から消え去る前に、誰かがダークエネルギーの正体を解き明かしてほしい。

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