「データの死蔵に耐えられないエンジニア」がたどり着いたMASの沼:リタイア直前エンジニアの社会人大学漂流記(4-2)(2/4 ページ)
今回は「MATSim」の解説をいったんお休みします(なぜなら恐ろしい分量になり、編集者が青ざめるから)。代わりに、私がなぜ「MAS(マルチエージェントシミュレーション)」にたどり着いたのか、そして私にとってMASが持つ可能性とは何なのかをお話したいと思います。
第4の転換:別々のデータを「一度まとめて扱えないか」
ここで、私の中での発想が少し変わります。
これまで見てきたように、データは、
- 意識や行動
- 数値
- 空間や移動
といった形で、それぞれ個別に整理されています。これはこれで非常に重要であり、それぞれの方法論として確立されています。ただ、ここで一つ、単純な疑問が出てきます。
「これらを、一度まとめて扱うことはできないかな?」
上の図のイラストの左側は、それぞれのデータが個別に存在している状態を表しています。
これを先ほどの図と対応させると、
- アンケートやインタビュー
- 統計データ
- 地図や移動情報
が、それぞれ独立して存在している状態です。
一方で、上の図のイラストの右側では、それらを一つのまとまりとして扱おうとしています。私のアプローチは「別々のデータを、一度“混ぜてみる”」というものです。
このとき、ようやく上記のイラスト(料理の絵)が意味を持ちます。
- 材料は既にある
- 個別の性質も分かっている
- ただ、それらを組み合わせてみることは、あまり試されていない
という状況に見えるのです。
もちろん、この見方自体がかなり乱暴であることは分かっていますし、データ同士は単純に混ぜられるものではありませんし、それぞれに前提条件や文脈があります。それでもなお、「一度まとめて扱うことで、別の見え方が出てこないか」と思っています。
こうすることで、「以前作成したデータを、一度きりの利用で終わらせない」という方向性が見えてきます。
ここで、少しだけ個人的な話をさせてください。
私はこれまで30年ほど、いくつかの分野で研究や開発に関わってきましたが、データやプログラムが再利用されることなく「死蔵」されていく場面を、何度も見てきました。私自身も、それらを死蔵させてきた張本人の1人です。
もちろん、それぞれの取り組みには目的があり、その範囲で完結すること自体は自然なことだと思います。ただ、それでも「一度作られたものが、そのまま使われなくなる」ことは、なんとも無念です。
そのため私は、公開可能な範囲で、自分のブログにコードや手順を残すようにしています。後から誰かが使えるかもしれない、あるいは自分自身がもう一度使うかもしれない、という前提で、再利用できる形にしておきたいからです。
この「死蔵に耐えられない」という感覚が、私にとっての出発点であり――私にとってのMASとは、この延長線上にあるものなのです。
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