株価爆騰・キオクシアの「これまで」と「これから」を考える:大山聡の業界スコープ(102)(1/3 ページ)
株価が急騰したキオクシア。その背景には、AIの主戦場が学習から推論へ移り、SSD需要が急拡大したことがある。東芝時代からの歴史を振り返りつつ、同社の強みと今後の針路、日本の半導体政策の課題を考察する。
キオクシアへの注目度がすごい。特に株価の爆謄が目覚ましく、2024年12月18日に公開価格1455円で上場した株価は2024年末まで「2000円が壁」などといわれていたが、2026年6月には10万円超を記録した。長らく低迷していた株価がなぜ爆謄したのか。そもそも東芝の「虎の子」的な存在だったメモリ事業はなぜ分社せねばならなかったのか。そして、上場するまでに時間がかかったのはなぜか。そして今後この会社はどこへ向かうべきなのか。内部にはもろもろの事情はあると思うが、筆者の思うところ、申し上げたいことをここで整理してまとめておきたい。
東芝の半導体の歴史は日本の半導体の歴史
古い話で恐縮だが、日本における半導体事業の歴史は1950年代までさかのぼる。米国のTexas Instrumentsが半導体事業を開始した1952年からやや遅れて、NECが1958年に、東芝が1960年に半導体事業を立ち上げた。同時期に半導体に注力していたソニーも、世界で最初にトランジスタを搭載したラジオ、さらにはテレビを製品化した実績を持っているが、NECと東芝は半導体を他社に販売する「外販」にも注力することで、半導体事業の拡大を進めていった。この2社は日本における半導体産業のけん引役として、日本を「半導体立国」に導いた立役者的な存在であった、と言っても過言ではないだろう。
そして東芝は1986年、当時最先端だった1Mビット DRAMで競合だったNECや日立製作所を抑え、トップシェアを勝ち取った。また同社の舛岡富士雄氏は、1984年にNOR型フラッシュメモリ、1987年にNAND型フラッシュメモリを発明し、後にこれが世界の半導体の歴史を大きく変えることになる。
1990年前後は、「日米半導体貿易摩擦」が政治問題に発展、当時シリコンバレーに駐在していた筆者は、日本の大手電機メーカーの購買担当者が米国半導体メーカーをわざわざ訪れ、「われわれはこういう半導体を求めているから、売り込みに来てくれ」という奇妙な面談に何度も同席したものだ。当時の日本は世界最大の半導体生産国かつ半導体消費国であり、その隆盛はNECや東芝によってけん引されていたのだ。今ではちょっと考えられない状況である。
DRAMからの撤退と「システムLSI」の失敗
しかしDRAM市場では、韓国および米国企業の台頭で東芝のシェアは減退していく。東芝に限らず、日本の各社は「大型コンピュータ向け」で成功した高品質戦略にこだわりすぎて、「PC向け」の価格競争に敗れた。東芝がDRAM事業からの撤退を決定したのは2001年で、今後はNANDフラッシュとシステムLSIに注力する戦略を打ち出した。システムLSIはDRAMから撤退した日系各社がいずれも注力しようとした分野だが、これに成功した企業は残念ながら1社もない。これについて申し上げたいことは山ほどあるが、本記事の趣旨から外れるのでここでは割愛する。
結果として東芝の半導体は、NANDフラッシュとパワー半導体などを中心とする体制となった。多くの日系半導体メーカーが大規模な設備投資を必要とするメモリ事業から撤退した中、東芝だけが例外的にメモリ事業を半導体の中核に据えることになったのだ。
SamsungにNANDフラッシュの「技術供与」
ここで東芝は自社が発明、開発した「NANDフラッシュ」を世界のユーザーに使ってもらうために、思い切った戦略を取った。1992年、DRAM世界トップシェアのSamsung ElectronicsにNANDフラッシュを「技術供与」し、東芝からもSamsungからも供給できる体制を作り出したのだ。
結果としてNANDフラッシュを普及させることには成功したが、シェアは量産規模に勝るSamsungがトップとなり、東芝は2位に甘んじることになる。「軒先を貸して母屋を取られたのではないか」「もっと高額なライセンス料を取るべきだったのではないか」などという批判もあった。発明の当事者である舛岡氏はSamsungへの技術供与には「本音では反対だった」とも言われている。ここではこれ以上の深掘りはしないが、NANDフラッシュが世界標準として認められるまでに、このような経緯があったことは認識しておきたい。
痛恨の「不正会計」が発端でメモリ事業をスピンアウト
東芝にとって最大の痛手となったのは、2015年に発覚した「不正会計」だろう。同社の不正会計は「2008〜2014年度の7年間で、累計1500億円以上の利益を組織的に水増ししていた」という極めて大規模な会計不正であり、経営トップの関与/企業風土の問題/内部統制の崩壊が複合した問題であった。発覚後に同社の株価は暴落し、企業価値が大きく毀損(きそん)した。特に東芝が半導体事業とともに強化を推し進めてきた原子力事業において、巨額の赤字計上が明るみに出たことで、債務超過寸前にまで陥ったのである。この状況下で大型投資を必要とするメモリ事業を同社傘下で継続できるのかどうか、重要な論争点となった。結果として、「東芝を救うために、虎の子であるメモリ事業をスピンアウトする」という苦渋の決断がなされたことになる。
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