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大いなるタブーなのか――人身事故を真面目に検証する世界を「数字」で回してみよう 人身事故(29)(3/8 ページ)

電車を日常的な移動手段にしている者にとって、疲れ果てている時、急いでいる時に発生した人身事故ほど、心が疲弊するものはありません。ですが、声を大にして人身事故を批判することはタブーである、という暗黙の了解が、なぜか存在するのです。今回から始まる新シリーズでは、この「(電車での)人身事故」について、「感情的に」ではなく「数学的に」検証したいと思います。

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ひとごとではなかった人身事故

 ところで、この機会に告白してしまいますが、私、「人身事故(未遂)」の当事者なのです。

 その当時、私には達成したい一つのライフプランがあったのですが、それが、何年たっても思うように進めることができず、ひどく落ち込んでいました。

 そして、それは、「もう、本当に、ダメな奴だなぁ」という自分自身へのつぶやきが、総計1000回くらいを超えたころだったと思います。

 それでも私は、自分がそんなに思い詰めているとは思っていなかったし、その時点においてでさえ、「自殺は最低最悪の選択」「人身事故は最大級の社会悪」であることを合理的に説明できるだけの理性があったと確信しています。

 しかし、私はその時、『私の意思に反して、私の足が勝手に、私の体をホームから落下させようとする』という人生初の「制御不能」を体験することになります。

 ―― おい、よせ! やめろ!! 何しているんだ、バカ! バカ! バカかお前は〜〜!!!

と、心の中で叫びながら、それでも、ホームから線路に落ちていこうとする私の体。

 その私の体を止めたのは、たまたまそこにあったホームの柱でした。

 私は下半身の暴走(なんかエロい意味にも読めますが)に対して、上半身の理性(両腕)が柱にしがみつくことで、本当に運よく、私は疾走する急行電車の「人身事故の当事者」となることから、免れることができたのです。

 秒速20メートルで疾走する電車を目の前に、私は青ざめてヘナヘナと座りこんでいました。

 この「制御不能」の恐怖の体験は、私のパラダイムシフトになりました。

 「人間の脳は、かくも簡単に壊れる」―― くしくも、前回のダイエットシリーズの連載の、江端智一「拒食症疑惑」によっても追検証されることにもなりましたが ―― ことは、秒速20メートルで疾走する320トンの物体に、自分の意思だけで0メートルまで接近できるという理想的な環境下で、最大の効力(自己の破滅)を発揮させるのです。

 要するに私は、私自身の体験だけを理由に、「人身事故による自殺は、他の自殺とは異なり、発生しやすい」という仮説を立てて、「なぜ、発生しやすいのか」を含めて検証したいと考えているわけです。


 さて、ここで、既に気が付かれた方もいらっしゃるかと思います。

 「江端が、人身事故(未遂だけど)の当事者であるなら、(冒頭の)江端による他の人身事故の当事者へ「怒り」の発動は、矛盾しているじゃないのか?」 ―― と。

 その通り。

 これは、いわゆる「五十歩百歩」程度の諺(ことわざ)では足りず、

「客として、ソープランドでそのサービスを受け終った中年男が、そのサービスを提供してくれたお姉さんに対して、性モラル低下について説教をする」

と、同程度に最低にして下劣な行為である、と、この私でさえも思います。

 しかしながら、「人身事故」には、そのような「定見のなさ」というか「軽さ」の要素が、他の自殺よりも大きいのではないか、と感じているのです(私だけかもしれませんが)。

 ならば、そういう矛盾したロジックを抱えている私こそが、この「人身事故」を、モラル、宗教、病気、社会情勢、個人的事情、これを全部超えたところで、全体像を把握するのにふさわしい人物であると思うのです。

 長い序文でした。

 それでは、「人身事故を「数字」で回してみよう」を始めたいと思います。

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