人身事故に遭わない秘策は“都会に住むな”!?:世界を「数字」で回してみよう(30) 人身事故(7/10 ページ)
皆さんは、一体どこの誰が人身事故を起こしているのだろうと考えたことはありませんか? 丹念に分析して人身事故の“分布図”を眺めてみると、発生場所が相当偏っていることが分かります。
昭和30年代、驚くべき人身事故の実態
では、ここでちょっと昔の傾向を見てみましょう。
今回、たまたま私が見つけた ―― しかし、腰が抜けるほどビックリしたデータをご覧いただきたいと思います。
今から58年前の1958年(昭和33年)、飛び込み自殺の件数は2222件でした。現在の実に4倍です。
現在、自殺の中でも飛び込み自殺が占める割合は2〜3%程度ですが、昭和30〜40年あたりは、10%が飛び込み自殺だったのです。
しかも、この時代の自殺者数をけん引していたのは、20歳代でした。1955年には、10万人中60人を超えるという、戦後最悪の値をたたき出しています(現在の日本は18.5人/10万人、韓国28.9人/10万人)。
―― 定刻通りに、電車を走らせることができたのか?
と思えるほどの、飛び込み自殺者数の多さです。
そこで、昭和30年代の電車の運行状況の調査を開始したのですが、1960年(昭和35年、戦後15年後)のこの映像を見て、私は、調査を断念しました。
そもそも、コンピュータなどない当時にあっては、運行管理システムなど存在する訳もなく、駅長が、電車の到着、出発、遅着を、集中指令室に電話で伝達し、そして、事故発生時には、駅長の判断で、増発や路線変更をしていたそうです。
列車集中制御装置(CTC)などがなくても、当時の駅長たちは、自律的な判断に基づく、自律分散型の運行管理システムを実現していたのです。
ポインタの切り替えも人力で行われており、東京、上野駅のポインタ切り替えの作業員は、工程表を見ながら秒単位で手動操作を行い、その超絶な技は、見る者を魅了したそうです。
私は、『多分、ダイヤという考え方が、現在と根本的に違うのだろう』と理解しました。
昭和30年代の運行状況であれば、私たちは、今のように人身事故によるダイヤの乱れに、いちいち腹を立てることはなかったのかもしれません。
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