だから減らない? 鉄道への飛び込みは“お手軽”か:世界を「数字」で回してみよう(32) 人身事故(5/8 ページ)
このシリーズを始めて以来、「鉄道を使った自殺は、他の自殺より“軽い”ような気がする」という印象を拭えずにいます。そこで今回、なぜ“軽い”と感じるのか、それを具体的に検討してみました。
拭えない違和感
このように私は、鉄道人身事故の飛び込み自殺のデータ解析を続けているのですが、どうにも違和感が拭えません。
これは連載第1回でもお話したことなのですが、「鉄道を使った自殺は、他の自殺より軽い」といった感じがするのです。
ここで言う「軽い」とは、「命の重さ」の話ではなく、自殺を実行するコスト ―― ぶっちゃけて言えば、手軽さ、コンビニエンス(convenience)さです。
そこで今回、「鉄道を使った飛び込み自殺は、お手軽である」という仮説を立てて、その仮説に関する私の見解を述べてみたいと思います。
[江端見解 その1]鉄道を使った飛び込み自殺は、具体的にイメージができないから
ニュースなどでは、交通事故の現場の写真、映像は普通に報道されています。
高速道路のサービスエリアにも、運転者への注意喚起として、運転席が完全に潰れている事故車両の写真なんか普通に掲示されていますね。
これらの事故現場のコンテンツで共通していることは、人間(の死体)は報道しない、ということだと思います。視聴者の中でも、気の弱い人や、女性、子供に対するショックが強すぎるからと思われます。
ただ、それでも、押しつぶされて原型をとどめていない自動車の様子から、その中にいた人間がどのような状態になってたかは、間接的であれイメージすることはできると思います。
自動車を暴走させて障害物に激突させる自殺、という話をめったに聞かない理由は、この間接的イメージにあるのではないかと考えています。
ところが、鉄道を使った自殺の場合、破損した電車の状態から間接的にイメージすることは難しいです。
その自殺現場の惨状を伝えるためには、ヒビの入った運転席の窓ガラスの写真では全く足りません。本当にその惨状を伝えたいのであれば、切断されて血塗れになった、飛散した人間の肉体のパーツを開示するしかないのです。そして、前述の通り、現時点では不可能な手段です*)。
*)もっとも、Googleの画像検索などを使えば、そのような写真は出てきますが、それでも、予想したよりずっと少ない数でした。
[江端見解 その2]鉄道を使った飛び込み自殺は、自殺を実行する人間にとってはコストが安いから
誰であれ、死後の自分の肉体は、誰かの手に処分を委ねなければならないので、コスト(時間、お金、手間)は発生しますが、それは自分以外の人間のコストです。
つまり、自殺したい人であって、自分の死後に思いをはせられない人にとっては、そんなコストはスコープ外です。
しかし、自殺したい人にとっても、自殺直前までのコストは重要な問題です。
自殺は、(1)設備投資、(2)実施手段、(3)苦痛の3つのコストが発生するからです。ですから、そこには、さまざまなコスト戦略が発生します。
加えて、自殺はアシストが期待できません。わが国においては、自殺を手伝うことは犯罪行為になるからです(刑法202条)。
刑法第202条
人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。
自殺した人は罪にならない(定説)のですが、自殺を手伝った人は罪になるのです(この話は非常に興味深いので、次回以降に展開します)。
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