中堅研究員はAIの向こう側に“知能”の夢を見るか:Over the AI ――AIの向こう側に(1)(2/8 ページ)
今、ちまたをにぎわせているAI(人工知能)。しかしAIは、特に新しい話題ではなく、何十年も前から隆盛と衰退を繰り返してきたテーマなのです。そしていまだに、その実態はどうも曖昧です。本連載では、AIの栄枯盛衰を数十年見てきた私が、“AIの彼方(かなた)”を見据えて、AIをあらゆる角度から眺め、検証したいと思います。果たして“AIの向こう側”には、中堅主任研究員が夢見るような“知能”があるのでしょうか――
AIを語るだけの資質が、自分にはあるのか
こんにちは、江端智一です。
今回から、「AI」をテーマにしたコラム連載を担当させて頂きます。なにとぞよろしくお願い致します。
まず、この連載を開始するにあたって、私は、「AIを語るだけの資質が、自分にはあるのか」を自問自答してみました。
私はAIの分野で顕著な研究成果を上げている訳ではないし、そもそもAIの研究開発の仕事をやったかどうかも怪しいのです(唯一、それらしい仕事を挙げれば、あの「サンマとサバ」くらいです)。
ただ、私は、AI研究そのものに従事した経験はありませんが、世間で騒がれているAI研究の成果のおいしい部分だけを、週末に「つまみ食い」してみて、ひとたび、そのAI技術が「あ、いけるかも」と判断したら、すぐに調理してみることにしています。
例えば、私は、週末を使って、
- 確定拠出年金の金融商品の比率を決めかねていた時、遺伝的アルゴリズム(GA:Genetic Algorthm)で組合せを決めさせたことがありますし
- 日本における性同一性障害の人の人口推定を、ベイズ推論を使って、行ったこともありますし、
- 最近では、卒業論文のために作ったニューラルネットワークのコードを応用して、ディープラーニングのプログラミングも試みています。
まとめますと、私は新しいAI技術を作り出す知能も、知性も、能力も、根性もありませんが――そのAI技術の手法を、日常の業務と関係なく、「週末エンジニア」の立場で、自分でプログラミングして、自分で実際に使ってみて、「これはすごいぞ」とか「ダメだ、こりゃ」と自分の言葉で語ることができる――そういう、珍しい立ち位置にいるのです。
そういう立ち位置にいる私としてはですね、今、まさに世の中に溢れているAIの記事は、透けて見えてくるんですよ――その著者が、昨今のAIの技術を「理解できていない」のか「理解できているのか」あるいは、「そのどちらでもない」か、が。
AIを理解できていない人は、
- 薄っぺらな技術的な把握に終始し、
- 実装を試みればすぐに分かるような技術的な問題点が分かっておらず、
- 現在のコンピュータの性能限界を定量的に把握できず、
- 揚げ句の果ては、AIを、ハリウッド映画程度のAI脅威論か、お花畑の未来論でしか論じることができないし、
AIを理解できている人は、
- 正確に記述したくて厳密な数式等を使うことで、多くの人が理解できない説明してしまい、
- AI技術の応用方法ついての言及がほとんどなく、あったとしてもその内容はショボく、
- 例題で用いているアプリケーション例は、全然楽しく(ワクワク感が)なく、
それ以外の人は、
- あまり役に立つとも思えない「AIの定義」に心血を注ぎ、
- どうでもよさそうなAIのカテゴリー分類(「○○型AI」とか)に終始し、
- AI研究の歴史などを年表にして表示し、
- AI技術を適用したと主張する会社のサービスを、検証もなく紹介しているだけ
という風に見えてしまうんです。
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