「シリコンバレー以前」から「PCの登場」まで:イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜(4)(2/2 ページ)
今回から、シリコンバレーの歴史を振り返ってみよう。世界屈指の”ハイテク企業地帯”は、どのようにして生まれたのか。まずは、「シリコンバレー以前」から、Appleが創設され、「Apple II」が登場するまでをご紹介しよう。
「シリコンバレー」発祥の地
1939年、スタンフォード大学の卒業生であったウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードが、ヒューレット・パッカード(Hewlett-Packard Company)を創立。パロアルトのアディソン通り367番地で操業を始めた。今ではそこにあるガレージが、シリコンバレー発祥の場所として、カリフォルニア州政府から正式に認定されている。
しかし、実はあまり知られていない話なのだが、シリコンバレーにおけるハイテクの歴史は、1909年までさかのぼることができる。
1895年にイタリアでマルコーニが発明した電信技術を実用化しようとした、当時スタンフォード大学を卒業して間もないシリル・エルウェルや、スタンフォード大学の資金援助を得てパロアルトに創立したフェデラル・テレグラフが、米国海軍の要請に応じて長距離ワイヤレス(ラジオ波)の実用化に成功した。その技術は、第一次世界大戦で大いに活用されることになる。
フェデラル・テレグラフからはその後、マグナボックス、フィッシャー・リサーチ・ラボラトリーズ、リットン・インダストリーなどがスピンアウトしている。半導体分野でスピンアウトにより多くのベンチャー企業が生まれるという、シリコンバレー・モデル、企業文化はこのころから既に見受けられたのである。
その後、第二次世界大戦が終わって戦後の世の中になり、東部のベル研究所で1947年にトランジスタを発明したウィリアム・ショックレーが、1955年にパロアルトにショックレー・トランジスター・コーポレーションを設立。ロバート・ノイスやゴードン・ムーアといった優秀な科学者を招き、世界で最初のトランジスターを開発した。ショックレーはノーベル物理学賞の受賞者であり、優秀で経験豊富な科学者ではあったが、企業の経営者には向いておらず、どうも人格的には問題があったらしい。せっかく招いた優秀な科学者たちは、1年ですぐに辞めてしまった。
「フェアチャイルドの子供たち」
ショックレ―の元を去った8人の科学者は1957年、フェアチャイルド・セミコンダクターを設立する。彼ら8人は、自ら「8人の反逆者(the Traitorous Eight)」と名乗っていた。これ以降、1980年代半ばにかけて、インテル、ザイログ、ナショナル・セミコンダクターなど多くの半導体ベンチャーが生まれていった。これらは“フェアチルドレン(フェアチャイルドの子供たち)”と呼ばれている。
フェアチルドレンは、今日の半導体技術につながる極めて重要な技術を開発している。例えば、インテルが1974年に発表したマイクロプロセッサ「8080」が、その後のコンピュータ産業の爆発的な発展につながったことは余りにも有名である。
半導体やICのベンチャーの出現と半導体技術の発展は、シリコンバレーの最初の波といえる。この地がシリコンバレーという名前で呼ばれるようになったゆえんだろう。ちなみに、「シリコンバレー」という呼び名は、ライターのドン・ホフラー(Don Hoefler)が1971年に、「エレクトリック・ニュース」(Electric News)という雑誌で、連載「Silicon Valley USA」を書いたことが起源だといわれている。1971年といえば、インテルが世界初のマイクロプロセッサ「4004」を開発した年でもある。
PCの登場
さて、1970年代の半ばになると、PCというものが世の中に登場する。筆者は1976年に、当時勤務していたIBMからスタンフォード大学大学院に留学していたが、「PC」と聞いて誰もが思い浮かべるであろうデスクトップPCの初期のものが登場したのも、ちょうどこのころである。それまでは、メインフレームとよばれる、部屋いっぱいを埋め尽くすほど大型の計算機を使用していたのだ。
1976年、Apple Computerがスティーブ・ジョブズらによって設立され、1977年に発売された「Apple II」は、当時大ヒットを放った。その後、さまざまなコンピュータや周辺機器、半導体製造装置など多くのハードウェアの企業が生まれ、ハードウェア技術が進展していった。
(次回につづく)
⇒「イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜」連載バックナンバー
Profile
石井正純(いしい まさずみ)
ハイテク分野での新規事業育成を目標とした、コンサルティング会社AZCA, Inc.(米国カリフォルニア州メンローパーク)社長。
米国ベンチャー企業の日本市場参入、日本企業の米国市場参入および米国ハイテクベンチャーとの戦略的提携による新規事業開拓など、東西両国の事業展開の掛け橋として活躍。
AZCA, Inc.を主宰する一方、ベンチャーキャピタリストとしても活動。現在はAZCA Venture PartnersのManaging Directorとして医療機器・ヘルスケア分野に特化したベンチャー投資を行っている。2005年より静岡大学大学院客員教授、2012年より早稲田大学大学院ビジネススクール客員教授。2006年よりXerox PARCのSenior Executive Advisorを兼任。北加日本商工会議所、Japan Society of Northern Californiaの理事。文部科学省大学発新産業創出拠点プロジェクト(START)推進委員会などのメンバーであり、NEDOの研究開発型ベンチャー支援事業(STS)にも認定VCなどとして参画している。
新聞、雑誌での論文発表および日米各種会議、大学などでの講演多数。共著に「マッキンゼー成熟期の差別化戦略」「Venture Capital Best Practices」「感性を活かす」など。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- 「無線LAN普及の父でもあった」、Steve Jobs氏の隠れた功績
コミュニケーションのあり方を大きく変えたSteve Jobs氏。彼はまた、当時は誰も見向きもしなかった無線LANに目を付け、その普及に多大なる貢献をした人物でもある。 - 日本半導体産業の立役者! 「電卓」の奥深い世界
“最も身近な精密機器”と言っても過言ではない電卓。あまり一般には知られていないが、電卓は、PCの誕生や日本の半導体産業の発展を語る上で欠かせない存在だ。3月20日の「電卓の日」に、奥深い電卓の世界をのぞいてみたい。 - 意外と知らない? 計算機の歴史を神楽坂でたどってみた
東京都新宿区の神楽坂に、東京理科大学近代科学資料館がある。この資料館、実は、小石や算木から日本初の大型商用コンピュータまで、さまざまな年代の計算機を数多く所蔵しているのだ。意外と知らない計算機の歴史を、同資料館の展示品とともにたどっていこう。 - ARM買収は「孫氏の個人的な願望」
ソフトバンクによるARMの買収は業界関係者を驚かせた。今回の買収劇について、「市場リーダーとしての地位を獲得したいという孫氏の個人的な願望によって、実行したのではないだろうか」とみる業界アナリストもいる。 - 2020年、5nm世代でEUV時代が到来か
ASMLは2016年4〜6月にEUV(極端紫外線)リソグラフィ装置を4台受注し、2017年には12台を販売する計画を明かした。これを受けて業界では、EUV装置によるチップ量産が、5nmプロセス世代での製造が見込まれる2020年に「始まるかも」との期待感が広がっている。 - 衝撃の「ADIのリニア買収」背景と今後
日本時間2016年7月27日の朝、国内半導体業界にも衝撃が走った。営業利益率4割を超える超優良半導体メーカーLinear Technology(リニアテクノロジー)が、Analog Devices(ADI、アナログ・デバイセズ)に買収されることで合意したという。業界関係者は「まさかリニアが!」と驚くとともに、「なぜ、リニアが?」と首をひねった――。