シリコンバレーがボストンを圧倒した理由:イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜(7)(2/2 ページ)
意外にもあまり知られていないのだが、米国における最初の“ハイテク企業密集エリア”は、東海岸のボストン郊外である。1940年〜1960年代にかけて、ハイテク産業が発展したボストン郊外のエリアだったが、その繁栄を長く謳歌することはできなかった。なぜシリコンバレーは、ボストンを打ち負かすことになったのか。今回はその辺りを探ってみたい。
ボストンを圧倒した、シリコンバレーの気質とは
これまで見てきたように、サンフランシスコ・ベイエリアには第二次世界大戦前にも確かに現在のシリコンバレーの発展につながるベンチャーは幾つかあった。だが、米国における最初のハイテク文化は第二次世界大戦後、マサチューセッツ州のボストン地域(環状道路ルート128が走っていた)に生まれたのである。
米国の“ベンチャーキャピタルの父”と呼ばれるジョルジュ・ドリオが、米国で最初のベンチャーキャピタルといわれるアメリカン・リサーチ・アンド・デベロップメント(ARDC:American Research and Development Corporation)を始めたのは、1946年のことである。ケン・オールセンが1957年に創立したディジタル・イクィップメント(DEC:Digital Equipment Corporation)は、このARDCから7万米ドルの資金を得た。7万米ドル(約700万円)は、ベンチャーキャピタル(VC)の投資額としては、現代においては聞いたことのないほど少額だ。昨今のVC投資では、シード・ステージでもアーリー・ステージでも1億円、2億円が投入されることが、ざらにある。それに比べれば、1950年代の話とはいえ、7万米ドルという額面がどれだけ少ないかがイメージできるだろう。金額の大きさはともかく、この投資によってDECが大きな成功を収めたことが、ボストン地域にハイテク企業が多く生まれるきっかけになったといわれている。ちなみに、DECが1968年に株式初公開を果たした時には、時価総額は353億5500万米ドルになっていた。内部収益率(IRR)は実に101%であった。
DECからはその後、データ・ゼネラル(Data General)やアポロ・コンピュータ(Apollo Computer)などがスピンアウトしている。しかし、ミニコンピュータ・アーキテクチャをベースに、特に科学技術計算分野で、1970年代および1980年代に一世を風靡(ふうび)したDECは、1998年にコンパック(Compaq)に買収され、さらにコンパックは2002年に西海岸のHP(ヒューレット・パッカード)に買収されている。
このように、米国におけるハイテク・ベンチャーの発祥の地だった東海岸のボストン郊外、ルート128(現ルート95)沿いの地域は、30〜40年たった今では、西海岸のシリコンバレーに完全に取って代わられてしまった。
なぜ、このようなことが起きたのか。
カリフォルニア州立大学バークレー校のアンナリー・サクセニアン教授が、1994年に既に、彼女の著書『Regional Advantage: Culture and Competition in Silicon Valley and Route 128』でその原因を徹底的に分析している。ちなみに同書については、マッキンゼー時代の筆者の上司であった大前研一氏の訳で「現代の二都物語」として日本語版が出ている。
それによれば、結局はハイテクベンチャーの醸成に必要な「文化」が大きく違ったからだとしている。
冷戦のさなか、ボストン近郊128号線沿いのハイテク企業は、おおむね閉鎖的、自己完結的であった。秘密主義で、従業員の目標は自身の勤めている企業の名声であり、彼らは企業に忠実であり、長期的に勤続することが一般的であった。
それに比べシリコンバレーのベンチャー文化はオープンで柔軟、企業同士の横の交流が盛んに行われ、従業員の目標はあくまでも自己実現であり、彼らは自分の勤めている企業に対してよりも自分の能力、夢に忠実だ。従って、勤めている会社でやれることが全て済めば、次の職場へ移るのが当然であった。
ひとことで言えばシリコンバレーの「オープン性」が、ボストン地域との、これほどの差を生むことにつながったのだろう。
筆者も25年にわたりシリコンバレーに住み、多くのベンチャー企業と接しているが、サクセニアン教授の指摘を毎日のように実感している。このシリコンバレー固有の文化を背景に、「知的自由」の能力を大いに発揮し、21世紀の企業像、ワークスタイルをいち早く具現化しているのが、多くのシリコンバレー企業およびそこで働く人々だ、といえよう。
次回は、シリコンバレーの気質というものを、より深く掘り下げて紹介したい。
(次回につづく)
⇒「イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜」連載バックナンバー
Profile
石井正純(いしい まさずみ)
ハイテク分野での新規事業育成を目標とした、コンサルティング会社AZCA, Inc.(米国カリフォルニア州メンローパーク)社長。
米国ベンチャー企業の日本市場参入、日本企業の米国市場参入および米国ハイテクベンチャーとの戦略的提携による新規事業開拓など、東西両国の事業展開の掛け橋として活躍。
AZCA, Inc.を主宰する一方、ベンチャーキャピタリストとしても活動。現在はAZCA Venture PartnersのManaging Directorとして医療機器・ヘルスケア分野に特化したベンチャー投資を行っている。2005年より静岡大学大学院客員教授、2012年より早稲田大学大学院ビジネススクール客員教授。2006年よりXerox PARCのSenior Executive Advisorを兼任。北加日本商工会議所、Japan Society of Northern Californiaの理事。文部科学省大学発新産業創出拠点プロジェクト(START)推進委員会などのメンバーであり、NEDOの研究開発型ベンチャー支援事業(STS)にも認定VCなどとして参画している。
新聞、雑誌での論文発表および日米各種会議、大学などでの講演多数。共著に「マッキンゼー成熟期の差別化戦略」「Venture Capital Best Practices」「感性を活かす」など。
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